正義の押しつけは戦争を生む | 中村幸也オフィシャルブログ「自由に生きるのに遠慮はいらない!」

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2018年6月に妻と子ども4人を連れて大阪から沖縄に移住してきた自由人。心理カウンセラー。「あきらめる勇気」の著者。『元不登校YouTuberゆたぼん』のパパ!

何が正しく、何が正しくないかは、
その人の価値観や育った環境、
あるいは文化によっても大きく変わる。
 
しかし人は時に自分の正義を絶対視し、
それを他の誰かに押しつけてしまう。

 
「自分は正しい」と強く信じ込む事で、
「相手が間違っている」と思うようになり、
どんどん攻撃的になってしまうのだ。
 
 
「正義は我にあり!」と。
 
 
やがて正義の刃での攻撃は、
相手の行為に対してだけでなく、
人格まで否定するようになってしまう。
 
「自分は間違っていない」
「自分は正義である」

 
という前提で相手を全否定し、
相手を少しでも受け入れる事は、
自分の「負け」になるような気がして、
相手を受け入れられなくなるのだ。
 
だから「自分は絶対に間違っていない」
と思った時こそ、冷静になろう。

 
なぜなら、気づかぬうちに自分の正義を通す為、
誰かを不幸にしているかもしれないから。
 
 
正しさを主張し合うと「争い」が生まれる。
 
 
人間というのは正義の病に侵されると
戦争をはじめ、殺し合いまでしてしまう生き物だ。
 
戦争を起こす人たちというのは、
自分たちの信じる正義で行動する。
 
だから「自分は絶対に正しい」と思い込んだ時点で、
人は盲目になってしまうのである。

 
しかし誰かにとっての正義は誰かにとっては悪であり、
誰かにとっての悪は誰かにとっては正義かもしれない。
 
 
つまり「絶対的な正義」なんてどこにもないのだ。
 
 
正しさなんてものは人それぞれの価値観でも違うし、
育った環境や文化でも大きく違う。
 
そう、正しさの物差しは人によって違うのだ。
 
だから自分の正しさを証明する為に、
誰かが間違っている事を証明する必要なんてない。

 
正義の刃で誰かを裁くのではなく、
「正しさ」より「楽しさ」を基準に考えてみよう。
 
 
正しい事より、楽しい事を!
 
 
正しさが人それぞれ違うように、
楽しさだって人それぞれ違う。
 
でもそれぞれが自分の楽しいを選んでいるなら、
誰も誰かを責める必要もなくなるだろう。
 
だから「正しい」を基準に考えるのをやめて、
「楽しい」を基準にし、
自分が楽しくなる生き方をしよう。

 
僕たちはみんなそれぞれ違っているし、
違っているから楽しいんだから!