勉強や宿題が「すべて」なのか? | 中村幸也オフィシャルブログ「自由に生きるのに遠慮はいらない!」

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2018年6月に妻と子ども4人を連れて大阪から沖縄に移住してきた自由人。心理カウンセラー。「あきらめる勇気」の著者。『元不登校YouTuberゆたぼん』のパパ!

どれだけイライラして子どもを怒鳴り、
周囲に当たり散らしたとしても、
この世界は自分の理想どおりにはならない。
 
なぜなら、世界はみんなそれぞれ違っていて、
誰もが違った価値観を持っているからだ。

 
僕たちが住んでいる世界には、
いろんな人が存在する。
 
わがままに思える人もいれば、
自分勝手でグチっぽい人もいるだろう。
 
だけど、その人にとっては、
それが「普通」でしかない。
 
しかし僕たちはつい自分の「普通」に囚われ、
それを人に押しつけてしまいがちだ。
 
「●●しなければ、ならない」
「●●するべきだ!」

 
 
と言いながら・・・。
 
 
このように“かくあるべき”に囚われると、
周囲にそれを押しつける事になり、
自分自身を見失う。
 
「●●しなければならないのだから、
何がなんでもするべきだ!」
といった極端な思考に走り、
他人にイライラをぶつけるようになるのだ。
 
しかしそんなふうにイライラしている人の為に、
わざわざ行動を変えようと思う人が、
いったいどれくらい、いるだろうか?

 
多種多様な人たちに期待に応えるのは不可能で、
みんなが自分を持って生きているのだから、
イライラする人に合わせるのはバカらしい。
 
 
だから“かくあるべき”を手放そう。
 
 
そうであったほうが望ましいけど、
別に違ってもいいんじゃね?
 
そうであるほうがいいかもしれないけど、
別にそうじゃなくても幸せならいいんじゃね?
 
そんなふうに思考を柔らかくし、
視野を広げて見る事だ。

 
「こうじゃなきゃ、いけない」
「ああしなければ、いけない」

 
こんなふうに“かくあるべき”に囚われると、
どんどん視野が狭くなっていく。
 
視野が狭くなると地位や収入だけで、
幸不幸を決めるようになってしまうのだ。
 
 
これは子どもの教育に関しても同じだ。
 
 
“かくあるべき”に囚われると、
勉強だけがすべてと勘違いし、
それだけしか見えなくなってしまう。
 
でも本当に大切なのは、
勉強がどうとか宿題がどうとかじゃなく、
子どもが幸せに生きているかどうかではないか?

 
だから、極端な思考に囚われてイライラしないで、
目の前にある幸せに気づける目を持とう。
 
もっと視野を広げて見てみれば、
見えなかった景色が見えてくるはずだから。
 
 
“かくあるべき”を手放そうぜ!