どれだけイライラして子どもを怒鳴り、
周囲に当たり散らしたとしても、
この世界は自分の理想どおりにはならない。
なぜなら、世界はみんなそれぞれ違っていて、
誰もが違った価値観を持っているからだ。
僕たちが住んでいる世界には、
いろんな人が存在する。
わがままに思える人もいれば、
自分勝手でグチっぽい人もいるだろう。
だけど、その人にとっては、
それが「普通」でしかない。
しかし僕たちはつい自分の「普通」に囚われ、
それを人に押しつけてしまいがちだ。
「●●しなければ、ならない」
「●●するべきだ!」
と言いながら・・・。
このように“かくあるべき”に囚われると、
周囲にそれを押しつける事になり、
自分自身を見失う。
「●●しなければならないのだから、
何がなんでもするべきだ!」
といった極端な思考に走り、
他人にイライラをぶつけるようになるのだ。
しかしそんなふうにイライラしている人の為に、
わざわざ行動を変えようと思う人が、
いったいどれくらい、いるだろうか?
多種多様な人たちに期待に応えるのは不可能で、
みんなが自分を持って生きているのだから、
イライラする人に合わせるのはバカらしい。
だから“かくあるべき”を手放そう。
そうであったほうが望ましいけど、
別に違ってもいいんじゃね?
そうであるほうがいいかもしれないけど、
別にそうじゃなくても幸せならいいんじゃね?
そんなふうに思考を柔らかくし、
視野を広げて見る事だ。
「こうじゃなきゃ、いけない」
「ああしなければ、いけない」
こんなふうに“かくあるべき”に囚われると、
どんどん視野が狭くなっていく。
視野が狭くなると地位や収入だけで、
幸不幸を決めるようになってしまうのだ。
これは子どもの教育に関しても同じだ。
“かくあるべき”に囚われると、
勉強だけがすべてと勘違いし、
それだけしか見えなくなってしまう。
でも本当に大切なのは、
勉強がどうとか宿題がどうとかじゃなく、
子どもが幸せに生きているかどうかではないか?
だから、極端な思考に囚われてイライラしないで、
目の前にある幸せに気づける目を持とう。
もっと視野を広げて見てみれば、
見えなかった景色が見えてくるはずだから。
“かくあるべき”を手放そうぜ!