ビゴさんのお別れ会に行って来ました。
遺影をみた瞬間に、ああ、もう向こうの世界の住人なんだな・・と思いました。
むろんこれは何かの雑誌のために撮られたもので、きっと太郎さんが泣きながら選び出した最良の一枚です。こんなポーズのビゴさんの写真は何十枚も見ていますが、なんだかやっぱりもう生きてる人の写真じゃない・・・と感じます。透明な感じ。
たくさんのパンが供えられています。おもにサ・マーシュの西川さんが作られたものだそうです。
ほかにも38軒のパン店お菓子店のお弟子さんたちが日本中から駆けつけ、献パン・菓子をされました。パティスリークリの栗原さんが尽力され、たくさんの思いが集まりました。
順に白いバラを捧げました。
ビゴさんの思い出コーナーには、たくさんの写真や賞状に混じって、いつも愛用されていた黒いフェルト帽と丸めがねが飾られていました。
そこに、いつもの帽子と眼鏡があるということは、つまりはもうビゴさんはいらっしゃらないということ。切なくなります。
お客様は300名ほど。
50年来の友人のシェリュイの平井さんと
服部幸應先生がご挨拶されました。
思い出話しを交えながら、その業績を称え、偲ばれました。
太郎さんが最後に挨拶をされました。
参加者にお礼を言い、ビゴさんへの手紙を読み上げられました。
喧嘩したままになっていること。もっと、もっと話しておけばよかったと悔しく思っていること。今年のはじめからビゴさんは入退院を繰り返し、太郎さんが毎晩病室に行っていたこと。ちょっとでも遅くなると、「まだですか−?」と電話がかかってきたこと。背中をさすってあげると、よく眠れると言ってくれたこと。小さい頃は忙しくて遊んでもらった記憶もないけれど、この最後の日々がよい思い出になったこと。
ヨーロッパの大学に強引に行かされたおかげで、今はフランス語ができること。「お客様を喜ばせること」「丁寧な仕事をしなさい」といつも言われていたこと。ちょっとでも納得できなければ、「ノン」と言われたこと。日頃は厳しい職人だったが、休日は孫を可愛がってくれて、ありがとう。店を守っていくから、これからも家族と従業員を見守ってほしい。いつか天国に行ったときに、「おまえもよく頑張った」と言ってもらえるように。
最後は天国のビゴさんによく聞こえるようにと、フランス語に切り替えられたのでしょう。「パパ、あなたの息子であることを、とても、とても誇りに思っている。あなたは唯一無二の存在。僕の心の中の特別な場所にいる」と呼びかけられました。泣きそうになりました。
「タロウ! タロウ!」
ロがちょっとホに聞こえる、フランス語のタロウと呼びかける、ビゴさんの大きな声を思い出します。
仕事上、二人は何かといったらいっつも言い合いをしていたように見えましたけれど、やっぱり大好きなパパだったのだと。
きっと太郎さんの声は、ビゴさんの耳に届いていることと思います。
最後には、「ビゴファミリー」が揃って、記念撮影。超可愛いお孫さんがもう6人。OBの方も。
新聞各社の記者が何人もいらして、写真がいっぱい撮られました。私も混じって撮っていたら(パンニュースの記事を頼まれていたので)、「よかったら、どうぞ、塚本さん」と脚立を貸してくださいました。
えっ?
とある社の新聞記者さんがビゴさんの本(ビゴさんのフランスパン物語)を片手に、「追悼記事を書くことになっているのだけど、本のおかげでとても助かりました」と言って下さいました。
本がこうやって残っていくことは、とてもありがたいことです。あらためて本の力を感じます。私は本を通して、ビゴさんの人生に少し関わらせていただくことができて、本当に幸せな事でした。大変でしたが、困難を大きく上回る幸運でした。今に続く幸せです。
小さい再会がありました。
フランスからの弔辞を預かっていたので、披露して貰うため司会者のところに行ったら、それはビゴさん来日50周年記念パーティのときに担当してくださった藤川さんという女性でした。ホテル側の計らいです。
藤川さんは、「まあ、塚本さん! あのときのみなさんに会えるんじゃないかと思って」と、準備室メンバーの名刺をしっかり握りしめて、待っていてくださいました。
こんなことで・・とは思いますが、それは小さな再会の喜び。あのときまた次の機会に!と言って別れたことを覚えています。
今回も、「また次の機会に。ビゴの店の50周年記念のある3年後に!」と言って分かれました。ビゴさんのおかげで、また会えるような気がします。