いつへの方に我が恋やまむ | 雪太郎の「万葉集」

雪太郎の「万葉集」

私なりの「万葉集」解釈
カレンダー写真は「鴻上 修」氏撮影

 秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ

 巻2 88 磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)

 秋の田の稲穂の上に立ち込める朝霧ではないが、いつになったらこの思いは消え去ることか。この霧のように胸のうちはなかなか晴れそうにない。

 「霧らふ」の「ふ」は(継続の助動詞)で「語らふ」と同様、ある一定時間継続することを意味します。「いつへの方」は(いづれの方角)にと解釈したくなる所ですが「いつ」は(何時)の意味なので時間的な終着点を表すそうです。「磐姫皇后」は第16代天皇の「仁徳天皇」の妻ですが激しい嫉妬心の持主だったそうです。この歌は実作ではなく後人が「持統天皇」の頃に新旧様々な歌を「煩悶、興奮、反省、嘆息」の起承転結の心情展開に組み立てた連作の最後の歌なので「嘆息」を表す歌だそうです。

 皇居は当時「難波の高津の宮」にありました。現在の大阪市中央区法円坂あたりで大阪城の南方の台地だそうです。

 

 次のようなエピソードが残されています。「仁徳天皇が皇后に、異母妹である「八田皇女」を納(めしい)れて妃にしたいと言ったところ皇后は聴(うけゆる)さなかった。皇后が紀伊の国の熊野の岬に宮廷祭祀に使う「御綱葉(みつなかしわ)」(カクレミノ)を取りに行った不在を伺って「八田皇女」を娶(め)して納(めしい)れた。」

 「日本書紀」によるとこの出来事の後、磐姫皇后は、山城の「筒城の宮」に引き籠り夫を想い続けたまま難波の宮には帰らず亡くなってしまったと記されています。