「万葉集終焉の地」 | 雪太郎の「万葉集」

雪太郎の「万葉集」

私なりの「万葉集」解釈
カレンダー写真は「鴻上 修」氏撮影

 移り行く時見るごとに心痛く 昔の人し思ほゆるかも

  巻20 4483 大伴家持

 次々と移り変わってゆく季節のありさまを見るたびに、胸もえぐられるばかりに昔の人が思い出されてなりません

 季節の移り変わりと時勢の変化を詠んだ歌。勝宝九年(757年)六月二十三日に監物であった「三形王」(木工頭)の家での宴で詠まれました。一月に「橘諸兄」が、前年の五月には「聖武天皇」が亡くなっています。「橘奈良麻呂」の謀反が「山背王」の密告で洩れる五日前だそうです。

 私も、もうすぐ74歳になります。残りの人生も約10年と考え、悔いの無いよう生きようと思います。家族や知人の死もたくさん見てきました。会えないことの寂しさを痛切に感じます。NHKの番組に「あの人に会いたい」という番組があります。意識的に観ているわけではありませんがチャンネルを合わせた時などに放送しているのを見ると様々なことが懐かしく思い出されます。「生老病死」は不可避で、生きる者の「宿命」のようなものだと感じています。

 咲く花はうつろふ時あり あしひきの山菅の根し長くはありけり

(華やかに咲く花はいつしか色褪せて散る時がある。しかし山菅の根は長く続くものだなあ。

「大伴家持」は758年、41歳の時に「因幡国守」になりました。翌年「因幡国庁」で「万葉集」最後の歌と言われる次の歌を詠んでいます。

 新(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)