「ほととぎす」② | 雪太郎の「万葉集」

雪太郎の「万葉集」

私なりの「万葉集」解釈
カレンダー写真は「鴻上 修」氏撮影

 ほととぎすいたくな鳴きそ汝(な)が声を 五月(さつき)の玉にあへ貫くまでに

  巻8 1465 藤原夫人(ぶにん)

 ほととぎすよ そんなに鳴かないでおくれ お前の声を端午の薬玉(くすだま)に混ぜて緒(糸)に通すまでは

 ※(お前の声を糸に混ぜて薬玉に通すまでは)と訳した方が自然な気もするのですが、テキストの訳を尊重いたしました。

「薬玉」は錦の袋に沈香やヨモギなどを入れ、菖蒲や橘の実を付け五色の紐を垂らした(厄除けの飾り物)で陰暦五月五日の節句に柱などに掛ける風習がありました。薬玉にホトトギスの声を混ぜる(?)意味で「声を玉に貫く」という表現が、当時イキだとして流行していたのではないかと考えられています。「あへ貫く」は「合へ貫く」で(合わせて貫き通す)意味。

 大伴家持の歌に「我が背子は玉にもがもな ほととぎす声にあへ貫き手に巻きて行かむ」(巻17 4007)(あなたが五月の玉ででもあればいいのになあ ほととぎすの声と一緒に糸に通して手に巻いて行きたいものだ)というのがあります。現代人の感覚では理解しにくい感性です。「藤原夫人」は、藤原鎌足の娘「五百重娘(いほえのいらつめ)」で「天武天皇」の妻。天皇の妻は令制では(皇后が一人、が二人、夫人が三人、が四人)でした。

 生物の世界に「倫理観」を持ち込むのは筋違いですが、個人的には子育てを押し付ける「ホトトギス」より「ウグイス」を贔屓目で見ています。ホトトギスの「キョキョキョ」よりウグイスの「ホーホケキョ」の方が心も癒され心地よいと感じます。「托卵」が成功すればするほどウグイスの絶滅が近付くようで憎らしも感じます。(托卵の「成功率」は、いくつかの巣に産み付けるので50%近いのではともいわれます)

長谷寺」は奈良県桜井市の(牡丹の名所)である「初瀬山」の中腹にある真言宗豊山派の総本山の寺院。

【参考】「いくたびも参る心ははつせ寺 山もちかいも深き谷川」(ご詠歌)

    「おんまかきゃろにきゃそわか」(本尊真言)