「花散愛惜」(桜の話) | 雪太郎の「万葉集」

雪太郎の「万葉集」

私なりの「万葉集」解釈

 桜花時は過ぎねど見る人の恋ふる盛りと今は散るらむ

  巻10 1855 作者未詳

 

桜の花はまだ散る時ではないのに 見てくれる人の恋しさの盛りが今だと思って散ってしまうのでしょうか

 

「花散愛惜」(はなはあいじゃくにちる)と書かれた色紙が家にありました。曹洞宗の開祖「道元」の言葉ですが、宗教的な意味合いから離れてこの言葉を味わってみたいと思います。すると花は盛りの内に散るべきだ(「散るべし」)とも、なぜ愛し惜しまれているのに散るのだ(「散るや」)と嘆いているともとれます。「人間が惜しまれて生涯を終えることの幸せを述べている」と説明されている方もおりました。

「古典」で「花」といえば「桜」を指すように、日本人には古来から桜を愛でる国民性があって様々な場面で「散りぎわの美学」を語ってきたように思います。しかし、価値観や生き様は人それぞれで「いさぎよさ」だけがすばらしいわけではありません。

 世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし(在原業平)

 見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ(藤原定家)

 いにしへの奈良の都の八重桜 今日九重ににほひぬるかな(伊勢大輔)

 願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ(西行法師)

 久方の光のどけき春の日に 静心無く花の散るらむ(紀友則)

 清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人みな美しき(与謝野晶子)

などなど「桜」を詠んだ名歌は数え切れません。 

 桜(さくら)の語源については『古事記』に出てくる「このはなさくやひめ」からとする説や、花が咲いた時の様子が「うららか」なため「さきうら」と表現したことから転じたという説などいくつかあるようです。 

「河津桜」はもう咲きました。福島県の桜はまだまだ先で、咲くのは遅い年だと4月中旬になります。(今年の開花予想は4月2日)家の庭にも三春町の「滝桜」と同じ「しだれ桜」が植えてあります(遺伝子が全く同じクローンかどうかは不明)。咲くのを今から心待ちにしています(ソメイヨシノは2月1日から「最高気温」を足していき600℃を越えると咲くといわれます)。

 「滝桜」は、エドヒガン系のベニシダレ(紅枝垂れ)で、樹齢が1000年を超え日本「三大巨桜」のひとつです。天然記念物に指定されています。

※他の「三大巨桜」は山梨県北杜市の「山高神代桜」と岐阜県本巣市の「根尾谷淡墨桜」です。