東大寺二月堂お水取り | 雪太郎の「万葉集」

雪太郎の「万葉集」

私なりの「万葉集」解釈
カレンダー写真は「鴻上 修」氏撮影

 人もなき空しき家は草枕 旅にまさりて苦しくありけり

  巻3 451 大伴旅人

(愛しい)妻のいない空しい家は、草を枕に旅する以上に心が苦しい

 

 728年、大伴旅人は太宰帥(大宰府の長官)になりましたが、その年に妻の大伴郎女(いらつめ)が亡くなりました。730年、任期を終えその功績により「中納言」から「大納言」に昇格し京へ転任となりました。奈良の家に戻ってきた時に、改めてしみじみと妻のいない一人寝の寂しさに気付き詠んだ歌です(「けり」は詠嘆)。悲しみが深かったのか旅人自身も翌年亡くなりました。(享年67。「従二位」)

「東大寺二月堂お水取り」は、奈良に春の訪れを告げる伝統行事で752年にはじまり、今年で1,273回目を迎えます。「不退の行法」で2度の大火の年も、伽藍が焼失しても欠かさずに行われました。二月堂に上堂する足元を照らすため10本の大松明が掲げられるため「お松明」とも呼ばれ親しまれています。2~3万人の見物客が訪れます。二月堂前の「若狭井」から観音菩薩さまにお供えする「お香水」を汲み上げる行事で「修二会(しゅうにえ)」と呼ばれる一連の法会の中のひとつです。「過去の罪過を懺悔し併せて天下の安穏を祈願する」意味合いを持ち悔過法要と呼ばれるそうです。修行を積んだ精鋭の11名の僧侶(練行衆)が中心となって執り行われるもののようです。2月に行われていたことが「二月堂」や「修二会」という名前の由来になっていますが現在は3月1日から2週間行われるようになりました。「お水取り」の儀式は、12日の深夜から13日の未明にかけて行われます。伝説によると「修二会」に若狭の神様が遅刻したお詫びに水を送る約束をしたとされており、今も若狭から10日かけて水が運ばれてきます。