“まいまい京都”さん、3度目のツアー参加です。GW最終日5/6のことですが、お花の記事が続いてご紹介が遅くなりました。


今回は京阪橋本駅下車すぐ、橋本遊廓に残る妓楼建築を巡るツアーです。京都と大阪を結ぶ淀川(木津川・宇治川・桂川が合流し淀川となる地点)の水運と、京街道の宿場町という交通条件に恵まれ、加えて石清水八幡宮参詣者の立ち寄り先(精進落し)として、京阪開通後はその利便性から橋本遊廓は永く栄えました。



ぼくはキャラしか知らないのですが、以前公開された“鬼滅の刃遊郭編”の影響から想定外の人気ツアーとなっているらしい。この日は連休最終日で男性参加者も複数いたのですが、いつも女性参加者が大半を占めるのが意外です…とガイドさんが仰ってました。今回も募集人数の3倍もの申込みがあり、急遽設定された午前コースに参加、ツアー終了後に橋本駅前/やをりきさん(1階は昭和レトロ、2階に昔のダンスホール跡が残るらしい)で名物オムライスを食べながら、ガイドさん2人から貴重なお話を伺えたのも楽しかったです。 



なお、ツアー中は街なかに点在する民家(元妓楼)の撮影自粛を依頼されました。今回ご紹介する建物外観写真は、ツアー後に個人的に散策して撮影したものです。



ここのツアーは、いつもガイドさんが素晴らしい。今回は花街文化に詳しい京都祇園のホテル支配人/正脇さん、橋本遊廓妓楼経営者の娘/奥西さん。奥西さんは御歳80才だそぅですが、とても上品でお話上手。




奥西さんは昭和33年の公娼制度廃止時には中学2年生、当時はお姉さん(娼妓さん)達と一緒に食事を摂るなど楼主家族と一家同然の暮らしがあり、一方でお客さんと階段を上がっていく姿を垣間見ていたとのこと。当時のことを大変よく覚えてらっしゃり、自らの体験でその様子を語れる最後の世代の方なんですね。




また奥西家は江戸末期から5代に渡って橋本に住み、奥西さんは家業についてだけでなく、橋本遊廓の歴史やご近所さん(他の妓楼経営者家族)についても大変よくご存知で、忌憚なくお話しくださいました。



ご紹介したい貴重なお話しがいっぱいあるのですが、個人的な事柄も多いのでご紹介は差し控えます。ご興味ある方は、ぜひ一度ツアーに参加してみてください。 ただ、娼妓さんたちは貧しい地方に残る家族のために懸命に働いていたこと、映画に描かれるよぅな娼妓さん同士の諍いなどなく、外出などの自由は一切ないものの、妓楼内で穏やかに暮らしていた事など教えて頂きました。



最盛期には京街道にそうよぅに80数件の妓楼が建ち並び、現在も10数件の建物が残ります。木造の大規模建築は維持・活用も難しく、近年は空き地や、そこに分譲された住宅購入者の新住民(京阪橋本駅至近の好立地ですからね…)も増えているよぅです。



橋本では過去に数々の映画ロケが行われたそぅですが、閉鎖的な街でもあり、旧住民の意識や行政の意向もあり、そのことを喧伝することはなかったそぅです。 20名ほどのツアーで街中を歩いていると、古くからお住まいの住民の方の厳しい視線など時折感じます。橋本に永く親密に暮らしているガイドさんが居ないと、成立しないツアーですね。個人的な見学の際も、配慮が必要だと感じました。



建ち並ぶ元妓楼の背後には音無川、各妓楼には川から直接荷物を搬入するための階段が今も残る。橋向こうの土手を上がると、国道と淀川が流れています。次回は内部を見学した妓楼3軒をご紹介します。