
息子を初めて保育園に預けたのは、彼が1歳の頃。私の育休復帰が迫っていたからだ。
仕事が大好きで、働かないという選択肢は無かった。
近所の認可保育園に預けて、小学校に上がれば時短も取り入れて、仕事と子育てを両立しながら定年まで働き続ける。
という青写真が脆くも崩れ去ったのは、私が保活に負けたからだ。
近所の保育園どころか遠方の保育園にも入れなかった。
想定外の事態に動揺したが、夫は「我関せず」。
彼は、私が専業主婦でもいいと結婚前から言っていた。働くでも働かないでも、私の好きにしたら良いよ、と。
とても優しい言葉だと思っていたけど実はそういうわけでもなくて、代償は大きかった。
自由にできるその代わり、それに付随する諸々も私が一人で全て背負わねばならなかったからだ。
「好きにしたらいいよ」とは、ぜーーんぶ、何もかもまとめて「君に任せた」という丸投げを意味する言葉だった。
働きたいなら働けばいいが、土地勘のない場所で保育園を探すのは私の仕事。
お迎えも当然私の仕事で、子の病欠対応や通院やなんかも全部私だ。
育休中、私がインフルエンザで高熱を出した時、元気いっぱいな息子の世話がままならず夫にヘルプを求めたが、「有給は無理」と無下に断られたこともある。
そのくせ、自分がインフルエンザになったら「今日は休みます」とあっさり有給を取るので、
なんだよ休めるんじゃねーかよ
と思ったのだがこの話もまた長くなるのでこの辺で。
大概の夫婦がそんな感じだろうが、もれなく我が家もそうだった。
一切の助けは期待できないから、なんとしても私が一人で、仕事と子育てとを両立させねばならない。
ここの保育園どうかな、と相談したところで「お好きにどうぞ」という感じで、私は夫と息子の3人暮らしだったけど、心は毎日、子と二人ぼっちで外に放り出されているような気分だった。
そんな中、藁にもすがる思いで空きを見つけたのが、とある認可外保育園だ。
一軒家を借り上げた施設で、保育園というよりは託児所に近い雰囲気だった。
見学の時、ちょっとどうかな、という一瞬の違和感を感じたけれど他に選択肢は無かったので、私はそこと契約し、1歳の子を預け仕事復帰した。
嫌な予感は的中し、その後保育園で事故が起きた。
息子の手にはガラスの破片が刺さり、数針を縫うことになった。
ところが恐ろしいもので、そんなことがあっても親の私は、「ここは良い保育園だ」と思い込んでいたのだ。
それでせっせと、息子が何も言わない(言えない)のを良いことに、引き続き園にも通わせた。
だって、ここしか無いから。
息子も泣かずに行っているから。
私が仕事を続けるには、これしかないから。
自分で決めたことを、「やっぱり間違いでした」と自分で否定するのは難しい。
それはマインドコントロールを解くのが難しいのと似ている。
私も、自分の選択に間違いはないはずだ、選べる中では最善を選んだはずだ、とずっと思い込んでいた。結構最近まで。
それが間違いだったと分かったのは、成長した息子と昔のアルバムを見ていた時だ。
当時の写真を見た息子は、
「保育園、楽しくなかったなぁ」と言った。
それを聞いた瞬間、心臓がぎゅっと摘まれたような気持ちになった。
保育園、やっぱり嫌だったんだ。
あの選択が正しかったと思いこむようにしてたけど、やっぱり正しくなかったんだ。
何年も何年も見えないように蓋をしていたものが、唐突に開け放たれた。
腐った中身が丸ごと全部飛び出してしまった。
「嫌だったことに気づかずにずっと通わせて、あの時はごめんね。悪かった。」
息子に謝った。
息子は、うん、まぁもういいよ、って感じだったと思う。
私は、私が選んだあの保育園は良くない保育園だった、とこの時ようやく自分で認めることができた。
結局、その保育園に通ったのは1歳から2歳までの一年間だけだった。
他の地域に家を建てることが決まり、そちらへ引っ越したからだ。
3歳からもこれまた保活に負け、保育園は諦めて、今度は遠方の、預かり保育のある私立幼稚園に通うことが決まった。
幸いなことに、ここがとても良い園だった。
見学時の印象にも一切の違和感なく、ぜひここが良い!と選んだ幼稚園。
息子もとても楽しく通えたらしい。
遠かったので、「通園バスは疲れることもあったけどね。」と言われたが。
ごめんね〜、と今度は明るい気持ちで、私も返すことができた。
家を建て、遠くに引っ越すとき、私は職場で正社員復帰するのを諦めた。
子育て中は、どう足掻いても定時に間に合わなかったからだ。
悔しい気持ちもあった気がするが、今思えばあの引越しは、私と息子を救ってくれたものだった。
引越しせずに前の家のままだったら、もしかすると息子は、肌に合わない保育園に何年も通うことになっていたかもしれない。
今のように「あの保育園楽しくなかった」なんて冗談でも言えないほどに、嫌な気持ちが心に深く食い込んでしまっていたかもしれない。
私が仕事を続けたかったのは、家計のためではなく自分のためだった。
これを断ち切ることは、引越しくらいの強制的な何かがないとできなかったと思う。
そんな私へ、当時1、2歳だった息子はSOSを発していたんだろうか。
私はそれに気づかなかったか、気づかぬ振りをしていたか。
息子の様子からは分からなくても、園の様子に「あれ?」と思ったことは何度もあったから、心当たりが無かったとは言い切れない自分がいる。
思い返すと、自分の浅はかさに泣けてくるのだ。
同じことは絶対に繰り返したくないと思い、環境変化の大きな時期は私も少し敏感になる。
対照的に、息子はどんどん大胆になっていくような。
保育園の時は本当に内気で静かな子だったのに、幼稚園に入ってからは爆発したみたいにパワー全開、飛び回って遊ぶようになった。
走るのが好きな息子、小学生の今はまるで春の子鹿みたいに、ピョンピョンと元気にグラウンドを駆け回っている。
さて先日、たまたまあの「良くない」保育園の前を車で通りかかった。
すると建物はそのままだったが、中は健康食品のお店に変わっていた。
保育園は消えたのだ。
ホッとする景色だった。
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