新年度になった。
小学校も、新しい学年が始まった。
このタイミングに合わせて、不登校についてのテレビ番組が放送されていて、専門家がこんな話をしていた。
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休みたい、と子が訴えたときは、絶対にすぐに休ませるべきだ。
その際、いつまで休むの?とか、何が原因なの?とか、聞いてはいけない。
いつかまた学校へ行くことを前提に、話をしてはいけない。
「心の登校」をさせない完全なる休みを、子に与えてあげてほしい。
「心が登校」しているうちは、いくら体が学校に行っていなくても、通学しているのと変わらないから。
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「心の登校」もなくなり、心身共にゆっくり家にいられるようになって初めて、メンタルの回復が始まる、ということだった。
頭では分かっていても、見守る親としては難しい話である。
私自身、不登校の経験がない。自分が経験していないことは、なかなか深いところで分かってやれない。
だから、頭では分かっていても、親の私がこれを実践するのはすごく難しいだろう…
そんなことを考えながら番組を見ていたらふと、私が新卒入社した昔の職場のことを思い出した。
当時の私は、プライベートで様々なトラブルに見舞われ、うつ状態だった。
仕事が原因というわけでもなかったが、色んなことを考えて、退職することにした。入社3年にも満たない退職だった。
私の退職直後に隣の席の上司は自殺で亡くなったので、仕事が原因ではないけれど、仕事もなんらかの影響はしていたかもしれない。
退職の結論に至るまで、ものすごく沢山のことを考えた。
途中で放り出すなんてそうそうできない性格の私が、定年まで勤めるつもりで入社した会社を辞めるのだ。
とんでもない一大事だった。
もう限界、という様子は、通院状況も含めて実家の両親にも伝わっていたと思う。
そして私は最後、退職する旨を実家へも報告したのだが、 そのままそれを受け止めた父とは違い、母はこう言った。
「もうちょっと仕事を続けてみたら?」
当時は不景気だったから、 今無職になるのはちょっと…という感じだったのかもしれない。
母は、私が仕事を辞めることについては最後の最後まで不満気だった。
「つまりは、もうちょっと仕事を続けてそのまま死ね、って私に言ってるんだな。」
私は母の言葉を、そんなふうに受け取った。
誰のために仕事を続けろと言うのか。
私のためではなく、母が安心するためではないか、と。
当時のことはもうすっかり忘れていたし、母のセリフにも、今となっては何も思わない。
が、「休みたいと子が訴えたときは絶対に休ませるべきだ」という不登校の専門家の話を聞いているうちに、とにかくあのセリフが、急に強烈に蘇ってきたのだ。
休みたいと言う子に「学校へ行け」と声をかけることは、私の退職に反対し、「もうちょっと続けてみたら」と言った、あのときの母と同じになるということなんだと。
当時の私は、「娘がこれだけ苦しんで出した結論に、 まだ続けたらなんてよくもそんなことが言えるな」と思った。
もし息子に何かあったときには、あのとき「子供の側」だった自分の気持ちを思い出そうと思っている。
母が口にした、あんな厳しい言葉を、私は息子へ投げたりしない。
そう考えたら、もし我が子が不登校になった時にも、「ちょっと学校に行ってみたら」というセリフを自分が言わずにいられる気がした。
不登校の経験は私にはないけれど、自分も昔は子どもだった。
息子より4倍も長く生きているから、これまでの人生の中に何かヒントになることは転がっているかもしれない。
非常に平凡な人生を歩んできた私だが、それでもやっぱり、いろんなことがあった。
それらは全部、親としての自分の生き方に反映させたいと思っている。
息子が苦しい時には心の底から寄り添ってあげられるように、そのために私は、自分がこれまでに多くを経験したんだと、思うようになった。
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