
私の両親はモノが捨てられない。
父は「めんどくさい」から。
母は「もったいない」から。
代わりに私が捨てようとすると、父はお好きにどうぞという感じだが、母は違う。
火のついたように口調が強くなる。
「捨てなくて、 いいの!!」
と、まるで子どものように恐るのだ。
日頃感情の起伏がほとんど無い母が、ここだけは怒る。突然怒る。
母は複雑な幼少期を過ごした人だから、やっと得られた「自分のモノ」への執着も人一倍だろう。
と、そういう母の気持ちが、私自身年を重ねて分かるようになった。
だから、「これ捨てたら」とか、「物を減らしたら」というようなことも、私からは言わないようになった。
ただ、両親亡き後のことを考えると、実家の物量を少しでも減らしておいてほしいというのが正直なところではある。
それで私は、「片付けたら?」の代わりに、母へこう言うようになった。
「要らないものあったら、ちょーだい?」
母にも「要らないモノ」はある。
ただそれを捨てられないだけで、娘に譲るのであれば意外と母も平気ならしいことが分かった。
「自分で使うか、売るかするね。どうにもならなかったら捨ててしまうわ。」
とその後の行方についても母へ正直に伝えた上で貰うのだが、自分で捨てるのではなく、譲り受けた娘がその後捨てる、というのであれば何となく許せるらしい。
母の記憶に残るのは「娘にあげた」シーンだけだから、その後そのモノがどうなったとしても、心理的抵抗は小さいようなのだ。
私も私で捨てられないタイプだから、母のこういう心の機微はよく分かるし、最初っから「捨てる」選択肢は取らない。
リサイクルショップ、メルカリ、不用品譲渡など様々な手を打った上で、どうにもならないときだけ「捨てる」。
母がいなくなってからだと、一品一品悠長にこんなことをしている場合ではないだろう。
時間のある今のうちに、丁寧に行き方を決められるのは、私の心情的にも助かっている。
「それ捨てたら」と言うのは、「それちょうだい」とは比べものにならないほど、その物の価値を下げて見ているセリフだ。
言われた側は辛い。
対して、「要らないものちょうだい」、というのは誰も悲しくならない言葉である。
この言い方をするようになってから、母の部屋で眠っていた「捨てられないけど要らない」食器や服をかなり整理できた。効果はあると思っている。
最終結果は同じ「捨てる」でも、母の心の痛みが少ないような言葉を選びながら、少しずつでも実家の片付けが進めば嬉しい。
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