不注意により台所の排水管を詰まらせてしまったのが、2月のことだった。
原因は、私が排水網の掃除をめんどくさがったことだ。
大きい綱はもう取っ払ってしまい、水流ですぐに外れてしまうような小さい網だけで過ごしていた。
そしたら案の定、網は外れた。
ニンジンの皮からニンニクの塊から何から色んなものが流れ、管が詰まってしまった。
水道業者を呼び、詰まりを解消してもらった。
貴用は数千円である。
その夜、私は9才の息子にこの出来事を話した。
「聞いておくれよ…
実は昼間、こんなことがあってさ…
網洗うのがめんどくさくてさ…」
私の嘆きをすべて聞いた息子は、言ったのである。
「お母さん。『めんどくさい』は、『ありがたい』だよ。」
めんどくさいなーって思えるのって、まだ自分でどうにかできる時だけなんだよ。
自分でどうにもできなければ、めんどくさいって思うことすらできないよ。
だからさ、まだ自分でなんとかできそうなめんどくさい状態って、ありがたい状態なんだよ。自分でどうにかできるんだから。
めんどくさいな、って思ってるうちに、なんでも済ませちゃう方がいいよ。
私が「排水網洗うのめんどくさいな」って思えるうちは、自分でなんとかできるから、ありがたい状況だということだ。
これを通り越すと、排水は詰まり、自分じゃどうにもならなくなる。
めんどくさいなんて言っていられない。 業者を頼るしかなくなる。
人間って、めんどくさい、と思えるうちが花なのだ。
息子の話を聞いて以降、私は「めんどくさいこと」に対する意識が少し変わった。
めんどくさいな…と一度は思っても、こう思える今の私ってありがたい状況なんだった!と考え直して、なんとなく手を動かせることが増えた。
排水網もちゃんと毎日洗っている。
「めんどくさいは、ありがたい」 から。
これって排水網の掃除のことだけじゃなくて、歯を磨くとか、お風呂にはいるとか、トイレやお風呂の掃除とか、生活全般に言えることだと思う。
めんどくさいなあ、ってうちはまだ、自分でなんとかなる、ありがたい状態。
そのうちに動いとけ、ということ。
なんだかしみじみとする話だった。
それにしても、だ。
現在9歳の息子は、これまでにも私にいろんなことを教えてくれたんだけど、その発想は一体どこで身に着けた?
先生から聞いたのか、本か何かで見知ったのか。
少なくとも、私の影響ではない。
それは間違いない。
私はめんどくさくて排水を詰まらせる女だから彼になにも教えられないし、態度で示してみせたこともない。
親バカと笑われるだろうが
やっぱり息子は、人生100周目かもしれない。
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