現在39歳の私、今年いよいよ40歳になる。
ヨソジとも言う。
 
実家の父には、すっかりおばさんやなと言われた。
 
生まれた時はあんなに小さかった子が、という親心も含まれたセリフだと思う。
父ももう71歳、孫もできてすっかりおじいさんである。

 
あと数ヶ月で四十とは、人生もとうとう半分を過ぎたなという気持ちがした。
 
いやもしかすると、私はすでに、人生の9割を終えてしまっている可能性がある。
9割9分を済ませてしまっていることに、まだ気付いていないだけかもしれない。
 
私はなぜ、自分が80歳まで生きる前提で物事を考えるんだろう。
確率の問題だろうか。
41歳で死ぬよりも、80歳で死ぬ確率の方が高いから。
 

そういえば私が小学生の頃、父からクイズを出されたことがある。

「人間が死ぬ確率は何%でしょう?」

私は『50パーセント』、生きるか死ぬかの半々だと答えたが、父は得意気な顔で言った。
 
「人間の死ぬ確率は、100%や。人間は、必ず死ぬからな。」
 
そんなん当たり前やん。ズルや、クイズやなくてなぞなぞやん、と思ったことを覚えている。不正解が悔しかったんだろう。

一昨年、知人が亡くなった。

息子もよく知っている人で、当時、彼女の死に触れた息子は言った。
 
「死ぬって、滅多に起きないことだと思ってたけど、珍しいことじゃないんだね。
普通に、当たり前に起きたから、すごくびっくりした。」


 
 
さて、人間が死ぬ確率は100パーセント、と得意気に解答を明かした父のセリフには、続きがあった。
 
「人は、生まれた瞬間からみんな、死を抱えて生きてるんや。オレも、キミもや。」
 
父は、私のことを、幼い頃から「キミ」と呼ぶ。
 
 
人はみんな死んでいく。ちゃんと死んでいくからこそ、地球がヒトでパンクせずに、新しく生まれたオレたちは今生きていられるんや。
 
だから、終わりがあるというのは人間にとってとてもありがたい事で、死とは怖いものではない。
 
 
そのように、父から教わった。
クイズの悔しい不正解と共に、今だによく覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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