教授も若く意欲的だったし、なにより、
体の免疫がまるで、ひとつのドラマのように成り立っていくさまが
なんとも言えず不思議で、
基礎医学をどれも苦手とする中、
唯一楽しんで聞けた講義だったような気が・・・。
そんななか、大学3年のときに出版された、多田先生の
「免疫の意味論」は、平易な言葉で、
「自己」と「非自己」という
免疫システムを解き明かし、専門書というより
一般書として魅力あふれた、すばらしい一冊で
深い感銘を受けました。
多田先生の人間性が随所にがちりばめられていて
理系の本というより、文学、哲学書という感じでした。
その多田富雄先生の遺作である
「落葉隻語 ことばのかたみ」を
先日読了しました。

巻末の出版日は2010年4月20日となっていて、
あとがきには
「死の足音を聞きながら書いた雑文」
「この本が無事出版されることを夢見ている」との言葉。
見届けるかのように、出版翌日の4月21日に亡くなられたようです。
2001年に脳梗塞で死のふちをさまよった後、半身麻痺と言語障害を残しながら、
執筆や電子音声での講演など、精力的にご活躍されていたようです。
晩期は末期がんとも戦いながらつらい闘病生活を余儀なくされておられた。
知識人として幅広く深い教養をもち、
人間や科学に決して絶望せず、悪は必ず正されるべきと発信し続けた強い姿勢。
鋭い視点でありながらも、常に弱者への暖かいまなざしがあり、
ご自身の中に、根源的な「寛容の世界」を
持っておられたことが、この本を読むと切ないくらい伝わって
胸にしみて、涙がこぼれてきました。
第一部の最後のエッセイ「終わりから始まる未来」から引用します。
「終わり」というのは、必ず何かが始まる、私の家でも、昨年は双子の孫が生まれた。
ふっくらとした赤子のほっぺたをつつくと、あどけない微笑で応える。
「そうなんだよ、じいじの世代はお前たちに大きな負の遺産を残した。
すまなかったが、強く平和に生きておくれ」と語りかけたい気がする。
同時にこの子が大人になるころ、この地球は大丈夫だろうか、
目を瞑って想像してみた。私のいなくなった世界を思った。
すると、不思議にも子供の走り回っている情景が目に浮かんだ。
私のいなくなった時間の風景に、私の孫かもしれない子供が
元気そうに遊んでいる。いや、誰の子でもいい。
幼児が何人も無心に飛び回っている。
私は長い時間その世界を想像し、これが私の死後の世界だと確信した。
それ以外の情景は浮かばなかった。
これからだってもっと生きにくい時代が続くだろう。
でもあんな子供がいる限り、未来は大丈夫だろう。
私は幸福な気持ちで、白昼夢の最後のページを閉じた。
去年今年 貫く棒の如きもの 虚子
力強い時間の連続性を信じて生きようと思った。
最後の「若き研究者へのメッセージ」。
今の時代、こんな気持ちで科学に向き合っている研究者が
いったいどのぐらい、いるのかしら・・・。
一医師として内省し、恥ずかしく、身が引き締まる思いです。
「死期が近い老人が折に触れ書いた単なる書き散らしにすぎない」と
本人がまとめた「ことばのかたみ」。
その中にある真実の重みを、しっかりとうけとめて繋いでいきたいものです・・・。