中言神社旧跡(別名明かしの杜。和歌山市新中島) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

おはようございます(´・ω・`)


先日、ぷち散策してきましたニコニコ


最寄りの場所から辿りますウインク


和歌山市の和歌山東公園東側駐車場から南へ行き、突き当たりを左(東)、次のT字路を右(南、道幅狭いです)に曲がって道なりに行くと右側(業務スーパーの真裏)に中言神社旧跡があります⛩️


中言神社旧跡『境内由緒書』『紀伊続風土記』より

旧名草郡神宮下郷新中島村に鎮座し、江戸時代後期の境内は周20間(約36メートル)。『紀伊続風土記』に一文あり、「村中にあり」とだけ記されている。

由緒書によれば、古くより「明かしの杜」と呼ばれ、垂仁天皇16年(紀元前14年)、日前・国懸両大神が毛見郷(現在の濱宮)から秋月万代宮(現在の日前宮)に遷坐する際、その一行がここまで来て陽が暮れ、一夜を明かしたこと場所であると伝わる。江戸時代に至り、寛政7年(1795年)、名草郡神宮下郷中島村から新中島村が分離した際、当時の村人が村の平穏と繁栄を願い、守り神として名草山一帯の守護神とされた中言神社より勧請して、この地に社殿を造営して祀ったと云われる。時を経て、明治41年(1908年)10月、神社合祀令により日前宮境内に合祀。大正12年(1923年)5月16日、村の有志たちが記念碑を建立して、現在に至る。

遠景⛩️

境内入口⛩️

由緒書⛩️

手水鉢⛩️

石碑⛩️

石灯籠⛩️

左右一対ありますニコニコ

中言神社之碑⛩️

石碑の右隣にありますニコニコ

境内⛩️

境内は狭く、指定の駐車場もありませんが、北側に和歌山東公園の駐車場があります。困難な場合は迷わず交通の妨げにならない場所に置かれて、歩いて行かれるほうが良いかと思いますニコニコ

今回はここだけですウインク

またどこか行きましたら、更新しますね照れ

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またまた余談です(笑)

前回の道の駅の史跡の記事が、昨日のランキング上位に入りました照れ


皆様、本当にありがとうございます🙇