日前神宮・國懸神宮(和歌山市秋月) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

こんばんはニコニコ

昨日は行かなかったので、散策ネタは残り1つひらめき電球

由緒はまとまりきらないので、公式サイト『紀伊國一之宮 日前神宮・國懸神宮』からほぼ原文のまま抜粋しますニコニコ

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日前神宮・國懸神宮家

日前神宮
祭神 日前大神
相殿 思兼命、石凝姥命

國懸神宮
祭神 國懸大神
相殿 玉祖命、明立天御影命、鈿女命

創建2600余年を溯る日前神宮・國懸神宮は、同一境内に鎮座する二社の大社をなしている。

日前神宮は日像鏡を御神体として日前大神を奉祀し、國懸神宮は日矛鏡を御神体として國懸大神を奉祀している。

神代、天照大御神が天の岩窟に隠れた際、思兼命の議に従い種種の供物を供え、天照大御神の御心を慰め和んで頂くため、石凝姥命を治工とし、天香山から採取した銅を用いて天照大御神の御鏡を鋳造した。

その初度に鋳造された天照大御神の御鏡前霊を日前國懸両神宮の御神体として、後に鋳造された御鏡を伊勢神宮の御神体として奉祀されたと『日本書紀』に記されている。

天孫降臨の際、三種の神器とともに両神宮の御神体も副えられ、神武天皇東征の後、紀伊國造家の肇祖に当たる天道根命を紀伊國造に任命し、二つの神鏡を以て紀伊國名草郡毛見郷の地に奉祀せられたのが当宮の起源とされています。

その後、崇神天皇51年、名草郡濱ノ宮に遷宮され、垂仁天皇16年には名草郡萬代宮すなわち現在の場所に遷幸し、永きに渉り鎮座の地として今に至っております。

爾来、天道根命の末裔である紀氏によって歴代奉祀され、両神宮の祭神が三種の神器に次ぐ宝鏡とされたために、伊勢の神宮に次いで朝廷からの崇敬も篤く、延喜の制には両社とも明神大社に列し、祈年、月次、相嘗、新嘗の祭祀には天皇から幣帛(御供)を賜るほどであったという。

また古くから紀伊國一之宮として一般の人々からも崇敬を集め、両神宮の総称を「日前宮」とし、親しみをもって呼ばれています。

1585年(天正13年)、羽柴秀吉の紀州征伐により境内荒廃、社領没収の憂き目に遭ったものの、江戸時代に入り紀州藩主徳川頼宣が入封すると社殿を再興した。

1871年(明治4年)、太政官布告による神格の制が治定されると、官幣大社に列し、敬神崇祖の大義を示すこととなった。

しかし、社殿や施設などは往時を忍ぶに及ばず、1919年(大正8年)の国費による境内建物すべての改善工事によって旧観は一新され、1926年(大正15年)3月の完成をもって現在に至る。

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鳥居ひらめき電球

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由緒書ひらめき電球

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手水舎ひらめき電球

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鳥居から境内を撮るひらめき電球

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社殿ひらめき電球

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社務所ひらめき電球

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御祓所ひらめき電球

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奥の柵から鳥居を撮るひらめき電球

ここより撮影禁止区域となりますが、通路は三路に分かれていますが、奥で繋がっており、左奥に日前神宮本殿、右奥に國懸神宮本殿、その他、多数の境内社があります。


境内は比較的広く、駐車場は境内にあります。