金剛山寺①(山門~味噌なめ地蔵。奈良県大和郡山市矢田町) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

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昨日の続きですニコニコ

法隆寺から国道25号を少し東へ走り、中宮寺東交差点を左(北、奈良県道9号)に曲がり、小泉出屋敷交差点を左(北)に曲がって道なりに行き、歩道橋がある信号を左(西、奈良県道189号)に曲がると一番奥に金剛山寺があります月見

金剛山寺『境内由緒書』『金剛山寺(矢田寺)公式サイト』より

高野山真言宗の寺院。山号は矢田山。寺格は別格本山。本尊は木造地蔵菩薩立像(国指定重要文化財、貞観年間(859年~877年)の作)。大和十三佛霊場第五番札所。大和北部八十八所霊場第五十五番札所。天武天皇勅願寺。地名に因んで「矢田寺」で知られる。

由緒書によれば、創建は白鳳4年(654年)。壬申の乱の戦勝祈願に矢田山に登り、勝利した大海人皇子(後の天武天皇)が即位後、智通上人に勅命し、矢田山に七堂伽藍48ヶ坊を整備させた。当初は十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊としていたが、弘仁年間(810年~824年)に満米上人が地蔵菩薩を安置して以来、地蔵信仰が盛んになった。他に日本最古の延命地蔵菩薩も安置。創建当初の建築物は度重なる火災で全て焼失しており、室町時代に再建された金堂と春日神社本殿が現存して現在に至る。

境内にある春日神社本殿が国指定重要文化財、金堂が奈良県指定文化財。所蔵している木造地蔵菩薩立像(本尊)・木造地蔵菩薩立像(試みの地蔵)・木造阿弥陀如来坐像・木造十一面観音立像・木造閻魔王倚像・木造司録倚像・木造釈迦如来坐像・絹本着色矢田地蔵縁起・梵鐘が国指定重要文化財(梵鐘ですが、奈良県指定文化財にも記載あり。製造年が同じなので別々の物かどうかはわからず)、木造二天王立像(頭部新調)が奈良県指定文化財、石造十三仏像が奈良市指定文化財に指定されています。

参道月見

山門潜ってすぐ右側の受付で入山料を払う必要がありますニコニコ

地蔵石仏(室町時代の作)月見

参道の途中にありますニコニコ


参道月見

左右に塔頭寺院があり、左側が念佛院、右側が大門坊で、共に寺格は準別格本山ですニコニコ


金剛山寺塔頭寺院。由緒書によれば、創建時期は不詳ながら、弘法大師空海が25歳の時に矢田山に登り、不動明王を図写して国家安隠・万民豊楽の誓願を立てて留錫し、「三大密教教門院」と命名したのが始まりとされる。

境内には中興の祖行海満空上人の供養塔(享保元年)が現存。中でも聖天宮は「矢田聖天」と呼ばれ、江戸時代中期の慈雲上人(1718年~1804年)により宝暦年間(1751年~1764年)に勧請したと伝わり、江戸時代初期の儒学者熊沢蕃山が隠棲していたと伝わる法光寺の本堂を移築したものであったが、近年老朽化が著しく、昭和59年(1984年)11月に再建された。また、昭和55年(1980年)、持仏堂である千佛堂を建立し、1000体の地蔵尊を安置している。さらに、古くより容真御流華道家元として現在に至る。

大門坊山門月見

大門坊千佛堂月見

※内部は撮影禁止🈲です。

大門坊聖天宮⛩️

御朱印月見

大門坊の千佛堂内で頂くことが出来ます照れ


念佛院(金剛山寺塔頭寺院)月見

御朱印月見

念佛院本堂左隣の納経所で頂くことが出来ます照れ

味噌なめ地蔵月見

由緒書によれば、伝承として、昔、近くの農婦が自家製の味噌の味が悪くなって困っていた。ある夜のこと、夢の中に石の地蔵様が現れて「我にその味噌を食べさせてくれたら、良い味にしてやろう」と云うお告げがあった。翌朝、矢田寺へ参って参道を見ると夢に現れたお地蔵様がおり、早速、味噌を口許に塗ったところ、家の味噌が良くなっていた。それを聞いた里人たちは新しい味噌を作ると味が良くなるようにと願いを込めてお地蔵様の口許に味噌を塗るようになったので、「味噌なめ地蔵」と呼ばれるようになったと云われる。

参道右側にありますニコニコ

参道月見

②に続きますニコニコ