法隆寺①(南大門~五重塔。奈良県斑鳩町法隆寺山内) | ゆきまるのブログ

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風の吹くままに身を漂わせてふわふわふわふわ…「紀伊続風土記」を片手に和歌山県内の神社仏閣を巡る歴史好きの他愛の無いブログです(´・ω・`)

こんにちは(´・ω・`)

6月1日の奈良散策のお話をしたいと思いますニコニコ

道順はまた最寄りの場所から…(笑)

では、参ります爆笑

京奈和道の郡山南ICを下り、国道24号の横田町交差点を左(西、国道25号)に曲がってひたすら道なりに行き、斑鳩町の法隆寺前交差点を右(北)に曲がると法隆寺の参道があります月見

法隆寺『境内由緒書』『法隆寺公式サイト』『Wikipedia』より

聖徳宗総本山。山号は無し。本尊は釈迦三尊(国宝、釈迦如来・薬王菩薩・薬上菩薩。推古天皇31年(623年)の作)。南都七大寺第七番札所。聖徳太子霊跡第十四番札所。神仏霊場第二十六番札所。大和北部八十八所霊場第五十番・第五十一番札所。

由緒書によれば、創建は推古天皇15年(607年)頃で、聖徳太子(厩戸皇子)の創建と云われる。推古天皇9年(601年)、聖徳太子は飛鳥から斑鳩の地に居を移すため、宮殿を造営に着手した。程なく、亡父である用明天皇のために寺院の建立を発願し、斑鳩宮(後の東側伽藍)の西側に斑鳩寺(後の法隆寺)を創建したと云う。聖徳太子は中国より政治・文化・仏教を取り入れ、四天王寺・中宮寺(後日更新)・広隆寺等を建立。政治においても冠位十二階・十七条の憲法・遣隋使の派遣等等により国の発展に尽力したが、推古30年(622年)に逝去。後を継いだ山背大兄王も蘇我入鹿によって滅ぼされた。法隆寺は聖徳太子を慕う人々により護持されてきたと云われ、天智天皇9年(670年)に全山焼失。すぐに再建計画が持ち上がり、奈良時代初期までには再建されている。

金堂・塔を中心とする西側伽藍は上代寺院の相貌を伝え、日本最古の現存寺院であり、寺域は天平19年(747年)の『法隆寺伽藍縁起并流記資材帳』に「方一百丈」と記され、鎌倉時代の『古今目録抄』等によれば、現在の寺域とほぼ合致していると云われる。

一方の東側伽藍は斑鳩宮の跡地に建立され、奈良時代の僧行信上人が宮殿の荒廃した状態を嘆いて、天平11年(739年)頃に聖徳太子の菩提を願って宮殿跡に夢殿を建立したのが始まりとされる。天平宝字5年(761年)の東院資材帳に記された寺域は、現在の東院境内に中宮寺を合わせた寺域であったと云われる。

寺域全体にある法隆寺地域の仏教建造物が世界遺産、境内にある旧境内が国指定史跡、金堂・五重塔・経塔・廻廊・綱封蔵・三経院・西室・鐘楼・食堂・聖霊院・西円堂・大講堂・中門・東院鐘楼・東院伝法堂・東院夢殿・東室・東大門・南大門が国宝、妻室・上御堂・西園院唐門・大湯屋・大湯屋表門・地蔵堂・中院本堂・東院廻廊・東院四脚門・東院舎利殿・絵殿・東院南門・東院礼堂・北室院太子殿・薬師坊庫裡が国指定重要文化財、所蔵する釈迦三尊像・薬師如来坐像・木造四天王立像・木造毘沙門天立像・木造吉祥天立像・塔本四面具・木造薬師如来及び両脇侍・木造聖徳太子及び眷属像・乾漆薬師如来坐像等多数が国宝、阿弥陀三尊・木造天蓋3基・塑造金剛力士立像2躰・木造四天王立像(大講堂に安置)・木造如意輪観音半跏像・木造地蔵菩薩立像・木造十二神将立像・木造千手観音立像・木造四天王立像(上御堂に安置)・木造聖観音立像等多数が国指定重要文化財に指定されています。

参道月見

由緒書月見

南大門(国宝)月見

由緒書によれば、建立は法隆寺が創建した時期だと云われ、当初は中門前の石段上にあったが、寺域の拡張に伴って現在の場所に移した。永享7年(1435年)に焼失、永享10年(1438年)に再建された。

地蔵院(法隆寺塔頭寺院、内部非公開)月見

南大門を抜けてすぐ左側にありますニコニコ

手水舎月見

境内案内板月見

西園院(法隆寺塔頭寺院)北門月見

本来は南大門寄りの唐門(写真無し)から入るので、こちらから入ることは出来ませんニコニコ

大湯屋表門(国指定重要文化財、内部非公開)月見

西大門の手前左側にあり、少し見えにくいですが、「浴室」の扁額が掲げられていますニコニコ

西大門月見

右側に見える門は中院(法隆寺塔頭寺院、内部非公開)の山門ですニコニコ

弥勒院護摩堂(塔頭寺院、内部非公開)月見

中門の手前右側にありますニコニコ


中門(国宝)月見

由緒書によれば、建立時期は不詳ながら、法隆寺創建時の建築物と推察される。門に安置されている仁王像(平安時代の作)は日本最古とされているが、最も風雨に晒される場所にあるため、幾度かの補修が行われていると云う。

ここから出入りすることは出来ませんニコニコ

廻廊(国宝)月見

由緒書によれば、建立時期は不詳ながら、法隆寺創建時の建築物と推察されている。僧侶が通る廊下であり、東西に伸び、伽藍を包み込むようにして建立されているが、大講堂寄りの廻廊は平安時代に建立されたものである。

ここより先を見るには受付で入山料を払う必要がありますニコニコ

五重塔(国宝)月見

由緒書によれば、建立時期は不詳ながら、法隆寺創建時の建築物と推察される。木造五重塔としては世界最古の現存建築物であり、内陣の四方に塔本四面具(国宝)と呼ばれる塑像群(計80点が国宝)を安置している。大正15年(1926年)、心礎内から舎利壺と金銀銅3種の舎利容器が発見され、舎利容器のみ元の場所に納められている。

※内部は撮影禁止🈲です。

②に続きますニコニコ