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わたしが初めてこの街に来たのは、昭和最後の年。小さな果物屋があって、目印は屋号が書かれたオレンジ色の軒先テントだった。

棟続きで並んでいたラーメン屋は、この場所で1950年代前半から変わらず営業していた。その頃からずっと存在する数軒の小さな商店は街のなかで昭和の面影を色濃く残していた。

それが去年、あっさり消えてしまった。

 

再開発で取り壊される間際。閉店した果物店の軒先テントが撤去されているのに気付いた。

そこにあったのは、見たことがない看板。「洋傘・ショール たちばなや」と書かれている。


 洋傘とショール。売り物の内容からブティックのような、婦女子向けのお洒落な店だったのだろうか。それにしては、あまりにも素朴な看板の文字。

 

ショール〟〝1950年代前半〟で思い浮かんだ「君の名は」。

1953年に映画化された際、主人公の女性がショールで耳や頭をくるんでいた巻き方が「真知子巻き」と呼ばれ、当時女性の間で大流行したそうだ。

 

「たちばなや」はたぶんその頃、ブームにあやかって商売を始め、そしておそらく、早々と店じまいしたのだろう。

のちに店は果物屋になり、すっぽり覆った軒先テントがタイムカプセルとなって、この看板は忘れ去られたまま長い年月が過ぎた…。

 

その間に、なんと4回もTVドラマ化されたという「君の名は」。2回目に制作された1966年は、〝いざなぎ景気〟が始まったとされる頃。

その翌年には、のちに華やかなスポットライトの舞台で「岡田有希子」と呼ばれた少女が生を享けた。

 

シンデレラストーリーを紡いだ、われらが姫君の名は「佳代」だった。

 

NHK連続テレビ小説として4回目の「君の名は」が放送されたのは、昭和が平成に変わり〝バブル景気〟が終わりつつある1991年。

彼女はそのときすでに、長い戒名を付けられて、空の上にいたのだった…。

 

 

すっかり色褪せているけど、当初はおそらく濃紺に白い文字だったのだろうと想像します。

何十年も静かに潜んでいたこの看板は、姿を現して一日あまりで轟音とともに消えたのでした。

photo by yukikostarlight