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連日の酷暑のなか、ふと遠い夏の記憶をたどってみたのです。

 

北関東の街でつまらない高校生活を送っていたわたしの16歳の夏休み、この年にあったビッグイベントが「つくば万博」。

会場を埋め尽くす人いきれ、うなぎのぼりの気温。まるで昨日のことのように感じます。

あの頃は熱中症ということばじゃなくて、日射病とよばれていましたね。

 

前夜祭?は土浦発万博中央ゆき「エキスポドリーム」号に乗って、揺れない(!)夜汽車の旅。

※会場付近の宿泊施設不足を補うために登場した、伝説の寝台列車ホテル。使用された車両は当時既に古参だった、20系客車と583系電車

常磐線土浦駅を21時47分に発車、留置線に停車したまま一夜を過ごし翌朝8時3分に万博中央駅に到着。土浦駅〜万博中央駅間は9.2km、日本一短距離を走る?寝台列車でした。

臨時駅だった万博中央駅跡には後年、ひたち野うしく駅が新設されました。

 

そして友人と朝から交代で6時間待ちの行列に並び、へとへとになって観た富士通パビリオン。

住友館や滝の劇場・三井館、日本IBM館に日立グループ館…。

人波を掻き分けつつ巡った一日で、わたしが足を踏み入れなかった「東芝館」。

いまさらながら、行かなかったことをとても後悔しているのです。


東芝ヤングイメージキャラクター」だった、ユッコこと岡田有希子さん。

いま思えば。

彼女がつくば万博に、東芝館の「名誉館長」として深く関わっていたこと。

会場からの生放送「EXPOスクランブル」のステージにも笑顔で立ったこと。

そして昭和60年の夏は、彼女にとって「生涯最後の夏」だったこと。

そんな事は、全然知らなかった。

 

〝動き出したぞ、好奇心。有希子、興奮〟

「科学万博は東芝館へどうぞ」と結ばれる、ユッコさんが出演した1分間のCM。彼女の名前が入った惹句が、いまはただ切なくて。

38年経ってから初めてそれを見たわたしは、16歳の自分を羽交い締めにしたくてたまらないのです。

 

…ここまで書いたら〝暑苦シイから羽交い締めはヤメテ〜〟という、自分の声が聞こえた気がしました。

ユッコさんが経験していない、令和5年の夏。酷暑でアタマがオカシクなったようです…。

 

 

 

↑こんなアイテムを、ずっと取っておいていたわたし。

当時は3Dの映像が、ものすごく新鮮だったのですよね。

でもあのころの「ゆめ」は、いったいどこにいったのでしょう。

photo by yukikostarlight