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猛暑の昼下がり。汗だくで新宿大ガード下を歩いていたら、一瞬視界の片隅に小さく「四谷大木戸交差点」の白い文字が流れました。

えっ?慌てて引き返すと、そこで見たのはいまの四谷四丁目交差点の、遥か昔の姿。

 

↑大ガード下にずらりと並んでいたパネルの一枚。新宿歴史博物館所蔵写真だそうです。

 

中央の道路は、拡張される前の甲州街道(新宿通り)。路面電車とバスが共存している平和な風景です。

ほんの5年前は一帯が焼け野原だった当時。背の高いビルは手前にしかなく、戦後建った家々の切妻屋根が目に付きます。


江戸時代のこの場所には、街道を通る人や荷物を取り締まる「大木戸」とよばれる関所がありました。当時の水道だった玉川上水の終着点となる、水番所もこの地にあったといいます。


この写真から10年も経たない1959年に、交差点の真下を地下鉄が通り抜けました。真っ赤な車体に白い帯、重ねて銀の波カーブをあしらう派手な装いの電車は、当時の人々を驚かせたことでしょう。

 

この写真の10年前、1940年に行われるはずだった東京五輪。14年後、1964年に華々しく開催されました。主会場は、ここからほど近い場所に建てられた国立競技場。アベベ、ヒートリー、そして円谷幸吉が駆け抜けたのは甲州街道でした。

世界中の注目が日本に集まったこの時期、街の風景がどんどん変わっていったのでしょうね。

 

さてこの写真では画面左側に向かって影が伸びていることから、手前が西…新宿御苑を背に撮影されたと推察します。のちに芸能事務所サンミュージックが入居する、大木戸ビルが建設されるのは交差点の角地、画面では左手前のあたりでしょうか。

 

そしてこの写真から33年後。

地下鉄の赤い電車に乗って、堀越学園の制服を着たユッコこと岡田有希子さんがこの地を踏むことになるのです。

 

(少し長くなったので…#150に続けます。スミマセン!)