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きっかけは何かで読んだ、こんな話でした。

「医者は皆同じように人の命を救えるわけじゃない。救える命も救えない、駄目な医者もいる」。

そして「そんな医者は己の無能を、絶対に認めない」。

命はそんな医者に当たってしまうかどうかで決まってしまう、賭けなのだと。

 

そういうのって、病気に限ったことじゃない。

たとえばある仕事を頼もうとして、相手を10人から選ぶなら。

普通にこちらの望む結果を出してくれる人が6人。

こちらが驚くほど付加価値をつけた、素晴らしい仕事をしてくれる人が2人。

そして、こちらの期待を裏切る残念な人が2人。

だいたい、そんな結果になると思っています。

 

誰だって、素晴らしい2人に仕事を頼みたいですよね。

でも、たいてい誰が素晴らしい2人なのかわからない。

そして残念な2人はたぶん、自分が残念だとは絶対に気づいていない、認めない。

 

誰もが自分の仕事に、きっと真剣に取り組んでいるでも一人一人の能力やセンスには違いがあって、一人一人が全く同じ結果を出せるわけじゃない。

それはそうでしょう。人間なんだから。

 

チェーン店の料理は、オペレーションも統一されてどこで食べても同じ味だと思ってました。

そんな思い込みを覆してくれたのは、大好きな激辛ラーメンの店。

ここの常連客が店長の人事異動をやたら気にするのは、同じメニューでも調理人(店長)の腕が味をおもいきり左右しているから。チェーン店としては残念だと思うけど、逆にそんな人間臭いところがやみつきになったきっかけだったりもします。

そして、わたしも「素晴らしい」腕と認めた店長が率いる店に足を運ぶわけです。遠くても

 

でも現実に普通の人はいざという時、命を預ける医者を選ぶことなどできない。

その医者が「素晴らしい人」少なくとも「普通の人」であることを祈るしかない。

より美味しいラーメンを食べたくて、わざわざ遠方の店に行くのとは次元が違う。

 

人の命に関わることのない仕事のわたしは、仕事に命をかける必要などないと本気で思います。

だけど。せめて、仕事を任せてくれる人と仕事の向こう側にいる人に、結果で応えられるような「普通の人」でありたい。そう思っています。

そして自分自身が「残念な人」なのかもしれない…とは微塵も思わないわたしは、随分おめでたい人間なんでしょう。

 

夜更けのターミナル街。とある激辛ラーメン店のカウンターで、ユッコこと岡田有希子さんの甘い歌声をイヤホンで聴きつつ。

十人十色…自分はさしずめ真っ赤なのかしら。

咽せながら麺を啜るわたしは、目の前の丼にしょうもないことを思っていたのでした。

 

photo by yukikostarlight