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ふと目にした、小さな訃報。

その名前は、再びわたしを53歳の冬から18歳の夏に引き戻したのでした。

 

「大学受験ラジオ講座」の英語講師だった、御園和夫先生

昨年暮れに、80歳にして不慮の事故で世を去られたとのこと。

心からお悔やみ申し上げます。

 

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北関東の高校を卒業した年の夏、三年間一度も口をきいたことがなかった同窓生から、いきなりかかってきた一本の電話。当時卒業アルバムの巻末は、電話番号入りの住所録でした。

要件は「地元予備校の夏期講習に行けなくなったから、講習代を出すなら譲ってやってもいい」というもの。

ナニその〝上から目線〟な申し出は!と思いましたが。その予備校に通う金がなくて宅浪していたわたしは、当時まさに命綱だった「ラ講」の御園先生が担当だったことが決め手となり、話に乗ったのでした。

今なら「衛星予備校」なのでしょうが、当時はわざわざ北関東の街まで来てもらっていたのですね。

 

すっかり忘れていたのですが、この同窓生は成人式を前に早世しました。あの時手渡した、当時のわたしには大金を彼が何に遣ったのか、その後聞く機会はありませんでした。

 

なけなしのバイト代と交換で得た数日間の講習。真剣に取り組んで、秋から偏差値が飛躍的にアップした…のであれば美しいのですがそんなことは全くなく。

深夜のバイトでモーローとしたアタマで、御園先生の講義とひたすらカクトウしてました…。

 

当時の旺文社「大学受験ラジオ講座」の英語講師は、金ピカ先生で有名だった佐藤忠志さんほか数人で担当していましたが、その中で一番地味だった、御園先生の講義がわたしは好きでした。

いま思い出したのですが、講習の最終日に先生に質問に行って、テキストにサインしてもらったんです。縁の太い眼鏡の奥に、柔和な微笑をたたえておられました。

そのサインには、英文で励ましの言葉が添えてあったのですが、青いテキストの表紙に黒のボールペンで書かれたその一節が、どうしても思い出せず。先生、すみません。

ユッコこと岡田有希子さんだったら、こんな時もっと鮮やかに、ディテールを思い描けることができたのかもしれないのに。

 

夏のたった数日間の講習。偏差値が上がることは最後までありませんでしたが、冬まで繰り返し復習したその時の英文法のノートは、わたしに春の奇跡を呼び込んでくれました。御園先生と、先生に会わせてくれた亡き同窓生には36年経ったいま、ただ感謝あるのみです。

 

 

記憶って不思議です。なにかのきっかけで、時を超えて赤裸々に思い出されることってありますよね。

昨日話した事さえ、覚えているのもおぼつかないのに…

photo by yukikostarlight