伊賀上野城下お散歩 ~国史跡 旧崇堂~ (12月10日) | のん気な雪狐の連絡帳

のん気な雪狐の連絡帳

雪狐の日記(行動・見聞記録)です。

上野天神社の東の鳥居からお散歩を再開。。。

する前に、

 

いせや」へチュー

 

10月も買った「茶わらび餅」がめっちゃ美味しかったので、

また買おうと思ったが、売れ切れていたえーん

残念あせる

季節のお菓子「かぶら」を買ったニコニコ

 

駐車場へ戻って荷物を車へ

手軽になったら、今度は上野中央通りを西に向かって歩くよ爆  笑

 

と、大きな門「白鳳門」が見えて来たびっくり

上野城の遺構で復元されたものと思っていたら、

違うらしいあせる

が、ここを潜って進むと上野城なので、

この門があると雰囲気が出るねぇチュー

 

忍者の町ぽく、枝の先がとがった垣根ガーン

木の種類はわかんないあせる

 

上野高校明治校舎の門

 

明治33年(1900年)に建設された日本洋風建築の上野高校明治校舎

 

と、市民一押しのお散歩コースを歩き、

たどり着いたのが、

 

国史跡 旧崇廣堂

 

見学が出来るとのことで、

入ってみたニコニコ

 

崇廣堂は、文政4年(1821年)伊勢津藩第10代藩主藤堂高兌の時代に

伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するため、

津の藩校有造館の支校として建てられた

 

創建のままを今に残している講堂

 

大玄関横の便所

木造だった小学校って、こんな便所やったよなぁ~ニヤリ

と、遠い昔の可愛い頃を思い出すオバチャン二人あせる

 

有垣寮

藩校時代の「思斉舎」を移したもの

藩校時代には「有垣寮」という建物があり、

年少子弟の寮として使われていた

扁額は当時のものだそうだびっくり

 

勾玉池から「講堂」を望む

まるで京都にいるような雰囲気照れ

 

御成門

文政時代の建物

藩主臨校の再使用される来賓門

 

台所棟の流し台

 

おくどさん

 

書庫

 

床の間

 

壺庭

 

便所からお風呂から。。。隈なく見学させてもらったチュー

親元を離れて寮生活をしていた幼い子(9歳から)もいたのねぇ~

当時の子どもたちの様子が目に浮かぶわ。。。TVの時代劇でしか知らないけどねあせる

 

赤門。。。写真があれだけどえー

 

江戸時代の教育現場を見学した後は、

今度はもう少し現代に近い教育現場を見に行きますチュー

 

 

国史跡旧崇廣堂

伊賀市上野丸之内78-1