上野天神社の東の鳥居からお散歩を再開。。。
する前に、
「いせや」へ
10月も買った「茶わらび餅」がめっちゃ美味しかったので、
また買おうと思ったが、売れ切れていた
残念
季節のお菓子「かぶら」を買った
駐車場へ戻って荷物を車へ
手軽になったら、今度は上野中央通りを西に向かって歩くよ
と、大きな門「白鳳門」が見えて来た
上野城の遺構で復元されたものと思っていたら、
違うらしい
が、ここを潜って進むと上野城なので、
この門があると雰囲気が出るねぇ
忍者の町ぽく、枝の先がとがった垣根
木の種類はわかんない
上野高校明治校舎の門
明治33年(1900年)に建設された日本洋風建築の上野高校明治校舎
と、市民一押しのお散歩コースを歩き、
たどり着いたのが、
国史跡 旧崇廣堂
見学が出来るとのことで、
入ってみた
崇廣堂は、文政4年(1821年)伊勢津藩第10代藩主藤堂高兌の時代に
伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するため、
津の藩校有造館の支校として建てられた
創建のままを今に残している講堂
大玄関横の便所
木造だった小学校って、こんな便所やったよなぁ~
と、遠い昔の可愛い頃を思い出すオバチャン二人
有垣寮
藩校時代の「思斉舎」を移したもの
藩校時代には「有垣寮」という建物があり、
年少子弟の寮として使われていた
扁額は当時のものだそうだ
勾玉池から「講堂」を望む
まるで京都にいるような雰囲気
御成門
文政時代の建物
藩主臨校の再使用される来賓門
台所棟の流し台
おくどさん
書庫
床の間
壺庭
便所からお風呂から。。。隈なく見学させてもらった
親元を離れて寮生活をしていた幼い子(9歳から)もいたのねぇ~
当時の子どもたちの様子が目に浮かぶわ。。。TVの時代劇でしか知らないけどね
赤門。。。写真があれだけど
江戸時代の教育現場を見学した後は、
今度はもう少し現代に近い教育現場を見に行きます
伊賀市上野丸之内78-1