「長崎 閃光の影で」
を観てきました。
ストーリーは、
太平洋戦争下、看護学生の田中スミ、大野アツ子、岩永ミサヲは、空襲による休校のため長崎に帰郷する。地元へ帰って来た3人は、1945年8月9日、原子爆弾が長崎に落とされたことにより、その日常は一変する。一瞬にして廃墟となってしまった長崎の町で、彼女たちは未熟ながらも看護学生としての使命をまっとうしようと奔走する。
というお話です。
1945年長崎。太平洋戦争下、幼馴なじみの看護学生の田中スミ、大野アツ子、岩永ミサヲの3人は、空襲による休校のために帰郷する。久しぶりに地元へ帰って来た3人は、それぞれ家族や恋人との幸せな時間を過ごしていた。
しかし、8月9日午前11時2分、長崎市上空で原子爆弾がさく裂し、その日常は一瞬にして崩れ去る。街は廃墟と化し、沢山の人々が街に倒れていた。彼女たちは未熟ながらも看護学生として負傷者の救護に奔走する。
救える命よりも多くの命を葬らなければならないという非情な現実の中で、彼女たちは懸命に看護をし続けるのだが、全く先が見えない。やってもやっても消えていく命を前に成すすべなく疲労だけが重なっていく。一人また一人と亡くなっていく人々。
そしてミサオは自身の髪の毛も抜けはじめてしまう。そんな中、彼女たちは命の尊さ、そして生きる意味を問い続ける。後は、映画を観てくださいね。
実際に日本赤十字社の看護師たちが35年後に原爆時の手記を書いて、その手記を元に映画化されました。この映画、悲しい内容なのですが、可哀想という言葉を使いたくないんです。可哀想という言葉ってとても他人事でしょ。原子爆弾は日本に落とされたのだし、広島の次に長崎と2回も落とされたわけです。日本人としてやっぱり許せないし、戦争を終わらせるためという理由だと言ってるけど、落とす必要は無かったよね。もう日本が負けるのは解っていたことだから。
それでも落としたのはオッペンハイマーでも描かれていたけど、やっぱり実験だったんでしょう。こんなに人が亡くなったのだから成功なんでしょうね。今更ながらムカつくけど仕方がない。受け入れはするけど核爆弾の影響は酷いモノでした。
この映画では放射能被害を詳しく描くことは無く、介護する彼女たちの姿を描くことが中心なので酷さはあまり解りませんでしたが、熱傷や外傷を負った人々は数日で亡くなるようでした。水を欲して苦しんでいましたが、水を与えると直ぐに亡くなるようで、看護師たちは水を与えてはいけないと言われていました。
でも水を与えても与えなくても亡くなってしまうのですから、苦しんでいる姿を見て、看護師は水をこっそりと与えていたようでした。その気持ちは凄く解りました。私は、こういう時に人が苦しみながら生きるのは間違っているように思うのです。
苦しくても頑張って生きるのは、未来に希望があり幸せになれると信じているから出来る事なんじゃないかな。もう身体がボロボロでそんなに持たないと自覚した時点で欲しいモノをくださいというなら与えてあげるのが人道的だと思いました。もうこういう時に法律とかルールって言ってる場合じゃないですよね。
彼女たちはまだ正規の看護婦ではなかったけど、被害者の方々に必死で尽くしていました。自分たちだって長崎にいたのですからそれなりに放射能を浴びてしまっていたはずなのに、それでも人のために働いていたんです。何日も酷い状態の人々を寝る間も無く見続けて、見送り続けたんです。
一度だけスミが逃げ出そうとする出来事がありましたが、上手くいかないんですよ。それは色々と原因があるのですが、原爆によって普通の人が願う幸せもつかめなくなったと言うことなんです。本当なら年頃の少女たちだし、幸せな経験もしたかっただろうと思うんです。彼女たちは青春も何も経験することが出来なかったんですから。
起こったことは消えないし、死んだ人々は帰らないけど、せめて今後同じようなことが起きないための警鐘を鳴らすことは出来るので、この映画も作られたんじゃないかな。こんなことは二度と起こってはいけないし、若い人たちが青春を楽しめないなんてことにならないように大人がしっかりとした政治をするべきなんです。人任せにせずにちゃんと自分で考えて行かないと、自分たちの首を絞めることになるんだと感じました。
私はこの映画、お薦めしたいと思います。よい映画でしたが、辛い内容なので、それを解って観にいって欲しいです。原爆ノシーンもありますし、誰にでも観に行ってとは言えないかな。観たくない方もいらっしゃると思いますが、本当によい内容でした。誇張した表現も無く、こんなことが本当にあったのだと言うことを伝える映画でした。ぜひ、観に行ってみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
「長崎 閃光の影で」