【イタリア映画祭2025】
「はじめての大切なもの」
を観てきました。
ストーリーは、
ミラノでイアリア語教師をしているブルーノは、同居している恋人ともうまくいかず、公園で売られているドラッグに頼る無気力な日々を送っていた。家族との連絡を絶っていた彼のもとを、妹のヴァレリアが訪れ、母親のアンナが末期ガンであることを告げる。自らの半生を回想するブルーノ。
1971年夏、故郷のリヴォルノの海水欲情で、アンナは最も美しい母親”ミス・マンマ”に選ばれ、思いがけず男たちの熱い視線を集めることになる。夫のマリオは嫉妬心から暴力をふるうようになり、アンナは幼い兄妹を連れて家を出る。
彼女は職を転々としながらも快活さを失わず、子どもたちに惜しみない愛情を注ぐが、息子のブルーノは、天真爛漫な母親に複雑な気持ちを抱いていた。母の周りにはいつも男性の影があったからだ。どこに行ってもアンナは中傷の的になり、ブルーノはそんな母親を恥ずかしいと感じ始め、とうとう家を出て叔母の家へと移ったのだった。
妹にうながされ、ホスピスで終末ケアを受ける母親と再会するブルーノ。死を目前にしてなお、自由で快活な母親に振り回されながらも、死ぬゆく母親と向き合いながら、ブルーノは自分を取り戻していく。後は、映画を観てくださいね。
この映画、美しい母親を持つ息子の複雑な気持ちをよく描いていました。母親が色々な男性と付き合っては別れ、子供たちはその都度、新しい男を紹介されて嫌な思いをすることって一般的に現代でもよくありますよね。母親は子供のことを思いながらも、自分らしく生きて好きな人が出来たらすぐに経済的なこともあって一緒に暮らしたりをするんだろうけど、金目当てで男を選んで一緒にすむのでは長く続くわけがないですよ。
この映画では子供への虐待は無かったけど、お金が絡むとどうしても子供への虐待が始まるので、母親が自分らしく生きたいならしっかりした仕事を見つけてから男と付き合うべきです。女性が男に頼らずに生きれる強さを持たないといつまでも子供が苦しむことになります。
ブルーノは虐待は受けませんでしたが、母親が男にイヤらしい目で見られるのを横で見ていたし、噂で娼婦のように言われていることを聞いていて、凄く嫌な気持ちになっていたんです。息子だったら聞いていられませんよね。母親に外に出ないでといいたいけど、自分は子供で生活費は稼げない。母親が稼いでくるしかないとなると、どうしようもなく絶望的な気持ちになるんだと思うんです。
そんな気持ちをずっーと抱きながら大人になり、母親と顔を合わせるのが辛くなっていたんじゃないかな。だから付き合っている女性とも結婚の話が出ると、長く続ける自身が無くて躊躇してしまうのだと思いました。子どものころのトラウマですよね。こういう人って、結構いるんじゃないかな。
だからと言って、母親を責めることは出来ないと思いました。自分一人で子供を2人育てなければいけないし、1970年代ではイタリアだってまだ男女平等にはなっていなかっただろうし、女性が子供を抱えて働くのは大変だっただろうと思うんです。男性に頼らないと難しかったのも理解出来るんですよ。
ブルーノはそれも解っていて、母親と顔を合わせるのが辛かったんじゃないかな。母親を愛していて感謝もしているけど、顔を見るとどうしても昔の母親の姿、男に頼っていた母親の顔を思い出してしまう。複雑な気持ちを母親に悟られてしまうのが嫌だったんじゃないかな。でも最後だと言われて母親の顔を見たら、昔のことを思い出し、昔と変わらず明るくて奔放な母親が大好きで愛していると言うことを認識したんだと思うんです。
だから彼女がやりたい事をやらせてあげたいし、今まで黙っていた秘密も全部理解して、しあわせな気持ちで送ってあげたかったんじゃないかな。母親は最後までしあわせそうな顔をしていましたし、ブルーノも今まで心に引っかかっていたことスッキリさせたように見えました。
ストーリー的には、観たことがあるような内容なのですが、イタリアの名優が演じていたし演出も良かったです。2010年の作品をイタリア映画祭25周年記念で上映してくださいました。この映画は、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の主演女優、主演男優賞を貰い、アカデミー賞のイタリア代表にも選ばれました。15年前の作品ですが、今観ても全く遜色がない作品でした。面白かったですよ。
私はこの映画、超!お薦めしたいと思います。日本では公開されなかったようですが、勿体ないなぁと思いました。こんな面白い作品は日本でも沢山の方に観て欲しいと思いました。もし、機会があったら、観てみてください。
ぜひ、楽しんでくださいね。
【イタリア映画祭2025】