「教皇選挙」
を観てきました。
ストーリーは、
全世界14億人以上の信徒を誇るキリスト教カトリック教会。その最高指導者で、バチカン市国の元首であるローマ教皇が亡くなった。新教皇を決める「コンクラーベ」に世界中から候補者たちが集まり、システィーナ礼拝堂で極秘の投票がスタートする。票が割れる中、水面下でさまざまな陰謀、差別、スキャンダルがうごめいていく。
というお話です。
全世界に14億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派、カトリック教会。その最高指導者にしてバチカン市国の元首であるローマ教皇が、死去した。生前、教皇と親しかったローレンス枢機卿とベリーニ枢機卿。ローレンスは教皇の病気を知らなかったが、ベリーニは隠しておられたと知っていた様子。
悲しみに暮れる暇もなく、ローレンス枢機卿は新教皇を決める教皇選挙<コンクラーベ>を執り仕切ることに。教皇に最後に遭ったトランブレに最後の言葉を聞くが、大した話は無かった。その他にも話を聞くと、色々な話が入ってくる。教皇が辞任させようとしていた枢機卿、過去に過ちがあった枢機卿、教皇と対立していた保守派枢機卿、いくつかの問題が浮かび上がる。
世界各国から100人を超える強力な候補者たちが集まり、システィーナ礼拝堂の扉の向こうで極秘の投票が始まった。票が割れるなか、水面下で蠢く陰謀、差別、スキャンダルの数々にローレンスの苦悩は深まっていく。世界を動かす教皇の座を私利私欲栄誉のために使うような人物では困ってしまう。
コンクラーベは続き、外ではテロが起こっているらしい。バチカンにも爆音が響き、票の行方は決まらない。そんな時一人の枢機卿が神への回帰を促し、俗世の欲は捨てるべきことを訴える。そして新教皇誕生を目前に、厳戒態勢下のバチカンを揺るがす大事件が勃発するのだった。 後は、映画を観てくださいね。
この映画、面白かったです。この内容、バチカンは許したんですかね。通常であればこんなことがあってはならないので、バチカンが許可したとは思えないんだけど、どうなんでしょ。凄くキリスト教に対して挑戦的な内容なので驚きました。でもきっと、神はこうなることを望んでいたように思います。今のように偏った男社会のキリスト教中枢部はおかしいんです。
この映画の中でも語られているように、神父は男性と決められているので、シスターは枢機卿にはなれずコンクラーベにも参加は出来ません。いつも外から彼らの手伝いをするだけのシスターたち。彼女たちにも目や耳はあります。神父と同じように判断も出来るんです。それでもコンクラーベが行われる部屋には入れない。差別ではなく”しきたり”なのでしょうが、誰もが女から生まれるのにおかしいですよね。
そして今回も男だけの枢機卿の中からひとり教皇が生まれるんです。全員が神父で、神の教えに従って清く正しく自分の欲では動かず、広く人々のために祈り続ける、そんな素晴らしい人のハズなんですよ。でもね、まぁ出るわ出るわ、おいおいそんな事してんのかいっ!というような枢機卿もいるんです。
まぁ、神父になる前に罪人でも、改心して神に身を捧げたのなら良いのでしょうが、やはり一度犯した罪を忘れて偉くなろうなんてずうずうしいでしょ。一生、罪を贖い続けることが神父なんじゃないの?改心したというのなら、人を押しのけて前に出ようとするべきじゃないですよね。
保守派とリベラル派の戦いもありました。これは現実でも大きな問題ですよね。保守派の教皇になれば避妊手術は拒否され、リベラル派になれば避妊も仕方がないという容認になる。その教皇の意向によって女性の人生が左右されるんです。おかしな話でしょ。そういうことは女性の考えを尊重して欲しい。
今現在の教皇はリベラルだけど避妊手術はダメなんだったかしら。聖フランシスコは沢山の国を周られて教えを説いた方ですよね。今、ご病気で病院に入っているようで心配ですが、どうなのかしら。お元気になられると良いけど心配ですね。この聖フランシスコの前の聖ベネディクトは初めて辞任んを許されて教皇を譲った人ですよね。それまでは死ぬまで教皇を続けなければいけなかったので、辛かっただろうな。
現実のコンクラーベとは違うかもしれませんが、映画の中ではリベラル派と保守派が随分と対立します。確かにどちらかに傾くと教会運営が難しくなりますから、出来ればどちらにも強く傾かずにいいとこどりをしてくれる方が良いと思いますが、そう上手くはいきません。ローレンス枢機卿が何とか中間地点の良い人を選んで欲しいとある演説をするんです。
たしか「常に確信して行動するより疑問を持って行動出来ることが望ましい」と言ったかな。要は「ただ妄信して宗教を信じるのではなく、本当にこれで良いのかと疑問を持ちながら信じていくことが、神の教えを理解することが出来る。」という事だと思うんです。確かにそうですよね。ただ言われるがままを信じているだけでは奴隷と一緒ですから。考えることが大切なんです。
でもこれが、最後の結末に続いてくるとは思いませんでした。衝撃的なラストにこの言葉が繋がります。いつも考えること。新しいことが起こるのは神の御業だし、それを受け入れるも受け入れないもその人が決断すべきことなんです。新しい事ですから聖書にも書いてありません。それは、今その決断を迫られているあなたが考えるべき事なんです。ローレンス枢機卿は悩んだだろうなぁ~。すっごく悩んだと思います。自分の選択は正しいのかと神に問いかけたけど答えはありません。
でもね、最後にバチカンの池に住んでいる亀ちゃんが外に出てきちゃって迷っているところを、ローレンスが見つけて池に連れていく場面があるんです。亀も迷うけど、きっと誰かが池に戻してくれる。人々が迷っても、必ず神が元の道へと戻してくれるという暗示だったんじゃないかな。慌てても仕方がないという事です。それこそ”神のみぞ知る”です。
本当は結末について書きたいけど、これ書いちゃうと驚かなくなっちゃうから書けません。でもね、この結末はどう考えても神が自分に近いモノを教皇の座につけて、そろそろ新しい世界を自分たちでも考えてみなさいと言っていたんじゃないかと思いました。新しい教皇なら新しい世界を受け入れて、そして今までの神への道をも踏み外すようなことはしないだろうという考えだったんじゃないかな。それこそ、良い塩梅で教会を引っ張っていくようにという事なんだと思いました。
私はこの映画、超!超!お薦めしたいと思います。凄く意欲的な作品で、驚くような展開に心が震えました。キリスト教国でこれを作ったという事が凄いことだと思います。今のままでは良くないんだという事を教えてくれているような作品でした。私はこの映画のことを考えれば考えるほど、映画って凄いなと思います。世界を変えるような内容なんですから。ぜひ、観に行ってみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
「教皇選挙」