「ナミビアの砂漠」何も起こらずカナという女性の日常を描くだけの映画ですが何か感じていただければ。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
スミマセンが、ペタの受付を一時中断しています。ごめんなさい。

 

「ナミビアの砂漠」

 

を観てきました。

 

ストーリーは、

21歳のカナにとって将来について考えるのはあまりにも退屈で、自分が人生に何を求めているのかさえわからない。何に対しても情熱を持てず、恋愛ですらただの暇つぶしに過ぎなかった。同棲している恋人ホンダはカナのために何でもしてくれるが、自信家のクリエイター、ハヤシとも関係をしており、ある日突然に家を出てハヤシに乗り換える。

というお話です。

 

 

世の中も、人生も全部つまらない。やり場のない感情を抱いたまま毎日を生きている、21歳のカナ。現在は優しいサラリーマンのホンダと同棲しているが、段々と世話を焼いてくれる彼がうっとおしく感じ始める。

一方、外に出ると自信家のクリエイター、ハヤシと付き合っていた。彼は家柄も良く、育ちもよさそうでカナを引っ張っていってくれるように見えたのかもしれない。そんなハヤシに求められたカナはある日突然にホンダと住んでいる部屋を出て、ハヤシと同棲を始める。ホンダと使っていた生活品を全て持ち出して新しい生活を始める。



 

ホンダとの生活が始まるが、ホンダはカナに合わせてはくれない。自宅で脚本を書いたりしており一人になりたいようだ。ある日、ハヤシの両親がバーベキューパーティを開くと言うので二人で尋ねることになる。おしゃれをして尋ねたカナだが、パーティに来ている人々はカナとは少し考え方が違うようだ。疎外感を感じたカナだった。

段々とカナの不満が溜まっていく。そして何のために同棲したんだと思ったカナは怒りをハヤシにぶつける。喧嘩をして子供のような殴り合いに発展するが、しばらくするとその喧嘩を忘れたように仲良く食事をする。

いつまで経ってもカナの目の前の視界は開けない。つまらないし、イライラは止まらない。生きる目的も見つからず、ただ息をしているだけ。スマホから見れる自然そのもののナミビアの砂漠は空気が透明で気持ちよさそうだ。しかしそのオアシスも設置したカメラも人間が用意したものだと気が付いているのだろうか。

後は、映画を観てくださいね。

 

 

この映画、何か凄い出来事が起きる訳でもなく、主人公のカナの生活を淡々と描いているだけの映画です。この山中監督のデビュー作「あみこ」も同じような感じでした。一人の少女から見た世界を描いていたのですが、今回もカナが見ていた世界を描いています。

 

「あみこ」は発達障害の子という設定でしたが、今回のカナは普通の21歳の女性として描かれているように最初は見えました。でも、話が進んでいくと俗にいうメンヘラ、精神的に問題を抱えていそうでした。まぁ、誰でも若い頃はそうだと思うけど、世界は自分中心に回っていると思っちゃっているんですよね。だからたいくつな世界は間違っていると思っている。自分が楽しくないなら周りが楽しいことを作ってくれるのが当たり前だと思っているんです。

 

 

カナは二股をしても悪いとは全く思っていないし、突然に男を捨てても自分は全く悪くない。問い詰められると嘘をついてあんたが悪いと責め立てる。うーん、どう見ても二股かけてるカナが悪いし、突然に家を出て二人の家財道具も持っていって新しい男と使うなんて、通常の精神状態なら出来ないでしょ。

 

人間は相手に対しての思いやりも持たなければいけないし、罪悪感も持たなければいけない。それが無ければ社会生活は営んではいけないと思います。沢山の人間が暮らす社会で上手く生活を続けていくためには重要な事なんです。でも、最近のニュースを見ていると、全く人のことを考えていない方もいらっしゃるようで、世も末だなと思います。このカナもその考えない一人なんですよ。どこまでも周りに依存し、自分が楽なことしかしない。

 

ハヤシの実家のバーベキューの時に、ハヤシの母親に家族のことを聞かれていて、母親が中国から来たと言っていたかな。でも祖父母は日本人と言っていたような気がするので、日本の一般家庭とはちょっと背景が違うのかもしれません。なので日本人の美徳とされる”思いやり”とか”人に迷惑をかけない”という基本が教育されていないのかもしれません。日本人は子供の頃からそのことを言われますからね。

 

 

そんな基本が社会情勢によって崩れてきているのかなと思っています。今のZ世代は、このカナのように退屈で求めるモノも無いという子が多いのかな。パパ活してお金を稼いでホストに貢ぐとか私には考えられないですが、今はそんな子も多いんでしょ。映画の中でカナもホストクラブに誘われて行っていたけど、何が楽しいんだろうなぁ。ごめんなさい、私にはきっといつまでも解らないと思います。

 

私はどちらかというとカナではなくハヤシに考え方が近いのかもしれません。自分のやりたいことは集中してやりたいし、邪魔をされたくない。でも、暇な時は遊び相手が欲しいし、どーせなら可愛い子が周りにいて欲しい。ハヤシも自分中心に生きていて、カナのことはアクセサリーくらいにしか思っていないのだと思います。

 

 

それに気が付いたカナはイライラしてハヤシに暴力を振るったりするんだけど、でも誰か近くいて精神的に依存させてくれないと生きていけない子なのだと思います。だから離れられない。ムカついても一緒に暮らしているのだと思いました。きっとハヤシはカナと結婚する気は無いだろうし、行く行くは親のコネとかで楽な仕事に就くんじゃないかな。そうなるとカナは邪魔ですよね。捨てられると思います。

 

カナは自分の価値も解っていて、どんなに抗っても今以上には行けないし、生活が良くなるわけがないと諦めがあるんじゃないかな。それを思い知らされたのはバーベキューの時なんじゃないかと思いました。だから最近の子は直ぐに親ガチャがハズれたからとか言っちゃうんでしょ。でもね、幸せって自分から求めないと手に入らないんですよ。

 

 

無駄だと解っても抗わないと何も変わらないの。綺麗事に聞こえるかもしれないけど真実です。それって20代でやらなければ二度と出来ません。カッコ悪いと言われようとも、ハブにされようとも、そこで頭を使って抗わないと生活って変わりませんよ。年を取るとそれが解るんですけど、若い頃は理解出来ないかもね。もし長生きして楽に暮らしていきたいと思うなら、親ガチャでもなんでもなく、20代で動くことです。

 

あー、説教臭いことを書いてしまいました。あまりにも勿体ない生き方をしているように見えたので、ついオバサンが出てしまいました。ごめんなさい。だけど一つだけ。親ガチャが外れというのは逃げです。自分は良い親になって子供に親ガチャ外れたと言わせないことが幸せなんじゃないの?お金の問題じゃないよ。気持ちの問題です。

 

 

映画が始まるとカナが友達とカフェでお茶をしながら話しているんだけど、友達は同級生がドアノブで自殺をしたと話しているのに、それが良く聞こえず後ろで話しているノーパンしゃぶしゃぶの話が大きくて気になっちゃうんです。こういうことってありますよね。

 

ノーパンしゃぶしゃぶって30~40年くらい前の話でしょ。学生は知らないよね。今どきそんな事言ってたらセクハラで逮捕されるんじゃないの?(笑)最初にこの場面が出てきたので、何かストーリーに関係あるのかと思ったんだけど、全く関係ありませんでした。この映画、こういう無駄な場面が多かったです。

 

全体的に何も起こらず面白い映画とは言えませんが、なんとなくダラダラと観ていただいて良いと思います。そして何か感じることや考えることが見つかれば、それを膨らますというような映画だと思いました。

 

 

私はこの映画、お薦めしたいと思います。彼女の日常を観て、今の社会を考えさせられたし、こういう人間ばかりが年を取っていくことになったら日本はどうなるのかなと思いました。性善説や思いやり、罪悪感などという言葉が無くなったらどんな社会になるのかな。怖いです。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

 

「ナミビアの砂漠」