「52ヘルツのクジラたち」こんなに深い愛を貰ったら自分も誰かの声を聞いてあげたいと思いますよ。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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「52ヘルツのクジラたち」

 

を観てきました。Fan’s Voiceさんで完成披露試写会が当たり、観せていただきました。(@fansvoicejp)

 

ストーリーは、

自分の人生を家族に搾取されて生きてきた女性・三島貴瑚。ある痛みを抱えて東京から海辺の街の一軒家へ引っ越してきた彼女は、そこで母親から「ムシ」と呼ばれて虐待される、声を発することのできない少年と出会う。貴瑚は少年との交流を通し、かつて自分の声なきSOSに気づいて救い出してくれたアンさんとの日々を思い起こしていく。

というお話です。

 

 

傷を抱え、東京から海辺の街の一軒家へと移り住んできた貴瑚。祖母が住んでいた家が残っており、そこに住むことにしたのだ。女一人で田舎町へ引っ越して来たので街では噂になっているらしい。

ある日散歩中に雨に降られ、子供が傘を差しだしてくれた。よく見ると腕に酷い痣がある。喜瑚は思う所があり、その子を家に連れて帰る。風呂に入れるために服を脱がせると背中にも酷い傷がある。虐待を受けていると解り、少年であることも解った。少年は貴瑚に虐待をしているのは母親かと聞かれ、その場から逃げ去ってしまう。

気になった貴瑚は街で出会った工務店の村中にこの街に小学校くらいの少年はいるかと聞くと、都会から戻ってきた同級生が子供を連れて来たが家に閉じ込めているらしいと聞く。



 

少年を探すために母親である品城を訪ねると、息子のせいで自分の人生が壊されたと言い、子供など要らないと言い放ち去っていく。”ムシ”と呼ばれた少年をこのままにしておけないと貴瑚が探すと少年の方から貴瑚の家を訪ねて来た。

ムシにクジラの唄を聞かせ、”この鯨は52ヘルツで唄っているので仲間には聞いて貰えない。とても孤独な鯨なんだよ。”と教える。そして貴瑚は自分が虐待されていた事、大切な人に助けられて新しい人生を手に入れた事を思い出し、その時に自分が聞いてあげられなかった唄を、今度こそ聞いてあげようと少年の声なき声を聞き、助けようと立ち上がる。後は、映画を観てくださいね。

 

 

私は、この原作本が本屋大賞を貰った時に知り読みました。本当に良い小説で、何度も何度も泣きながら読み、最後の方で安吾のあることが起こったところでは、過呼吸が起きるほど悲しくて哀しくて感動をしました。それが映画化されると聞き、試写会に応募して当たり、一足先に観てきました。

 

原作はとても深いお話で、いくつもの出来事が折り重なっている作品なので、1本の映画にするには難しいだろうなと思っていましたが、やはり全部を詳細に映像化するのは無理だったようで、随分とキャラクターや出来事が削られていました。でも、ベースは同じなので、貴瑚と安吾、そして主税の絡まった闇はしっかりと描かれました。

 

 

原作と比べると貴瑚の家族の話は貴瑚の腹違いの弟が削られていて、主税の話は社長の御曹司なのであちらの家族も絡んでくる部分などが削られ、ムシ(本名は違いますよ。)の話は母親以外に祖父なども絡むのですが削られていました。村中との話も細かい部分は削られていたかな。

 

でも、仕方ないですよ。だって2時間強くらいにまとめるのって難しいですもん。それでも題名にある52ヘルツのクジラたちの意味となる内容はしっかりと時間をかけて描いてくれていたので、観ていて、随分何度も泣きました。この映画、泣くところが多いんです。
 

貴瑚は子供の頃から虐待をされていて、母親は愛しているから離れないでと言いながら殴ったりをするんです。こういう親ってキ〇ガイですよね。自分の子供ですよ。何かが起きると全て娘のせいになり、再婚して義父が出来ると2人で虐待をしていたようでした。原作では描かれていますが、映画では義父が虐待する場面はありませんでした。

 

 

そして義父が寝たきりになると、介護は全て貴瑚の仕事となり母親は何もやりません。貴瑚は高校卒業後はずっと家で介護の日々を送っていたんです。そんな貴瑚を助けたのが、高校の頃の親友の美晴と、彼女の上司だった安吾。安吾はある秘密を抱えているけど、誰も気がつかないんです。苦しい胸の内を抱えていたからこそ、貴瑚の叫び声が聞こえたのだと思いました。

 

貴瑚は安吾によって家族から解放され新しい人生を手に入れますが、安吾に思いを寄せても安吾は返しません。それは何故なのかがこのお話のネックになっていきます。安吾が「”家族”は”呪い”になる」と言うのですが、それは自分に向けても言っていたんじゃないかな。安吾はずっと叫び声をあげていたんだけど、誰も気づいてあげられなかったんです。

 

 

貴瑚は安吾の声を聞けなかったことをずっと後悔しているのですが、貴瑚は子供の頃から虐待され愛を欲していても与えられなかった人物なので、一度拒否されてしまったらそれ以上突っ込んで愛を欲することが出来ないんです。嫌われたくないという思いの方が先になっちゃうんです。なので安吾に突っ込んで入って行けなかったから、彼の叫び声が聞けなかったんです。

 

これは観ていてどうしようもなく悲しかった。私ならきっと、何度でも無理にでも安吾に告白して、彼にとことん拒否されるまで入り込んで行ったと思うけど、それって、愛を貰っている人にしか出来ない事なんですよね。自信があるからこそ出来ることなので、貴瑚には出来なかったんです。本当に可哀想でした。

 

 

でも今の貴瑚は、安吾や美晴に愛を貰ったからムシを助けられるのではないかと思ったんじゃないかな。今度こそ声を聞いて助けてあげたいという思いがとても良く描かれていました。いやぁ~、凄い映画でした。最初っから、何度も泣かされて、家族とやっと訣別出来たのに、また悲しいことがあったりして、それでも前を向いて誰かを助けようともがく貴瑚が何処までもカッコ良く見えました。

 

原作とはちょっと違っていたけど、原作者の町田そのこ先生も完成披露にいらしていて満足されているように見えたので良かったと思いました。以前も書いたように、小説や漫画などの原作者が内容を自由に変えて良いと言ってくださったということは、自分の作品に自信を持っていて、それ以上のモノを作れるなら作ってみろという挑戦だと思うんです。町田先生が仰っていたのは、色々な要素が入って、新しいモノが出来上がって嬉しいというような事でした。監督、脚本が入り俳優さんたちが人物を演じて、文字が現実に投影されて、新しい世界が出来上がったという感じかしら。小説も素晴らしいけど、映画も良かったです。

 

 

志尊さんの”安吾役”は素晴らしかったです。小説でもとても紳士的で優しい人物なのですが、文字では表情は自分で想像するしかないでしょ。映画の中の安吾は美しい顔をしながら、凄い苦しんでいる様子が見て取れるんです。言葉を選んで、人を傷つけないように自分も傷つかないようにしているけど、一歩一歩針の筵を歩いているような状態なんです。この表情は凄かった。

 

この安吾の愛こそが本物の愛だと思うんです。何処までも愛し続けて相手の幸せを望んでいる、そんな報われない苦しい愛だけど、それでも見つめているだけで幸せだと感じられる、そんな愛し方が出来る人って凄いですよね。普通ならどうしても相手に求めてしまうけど、彼は相手には決して何も求めないんです。美しく気高い愛、それは辛く苦しいものだっただろうと思います。

 

 

そして貴瑚役の杉咲さん、過酷な運命を生きる少女は大人の女性になり、守って貰う存在から守る存在へと変わって行きます。年を取る=年齢を重ねるっていうのはこういう事を言うんです。杉咲さんは、映画の中で、ちゃんと成長をして守る存在へと変わっていました。現実に生きていても、ただ年を取るだけで成長していないのは生きている意味がありません。心の成長をしましょうね。あ、私もか。

 

この小説に出会えて良かったし、映画化された作品を早く観れたのは本当に嬉しかったです。この小説は私のバイブルとなっているので、この映画も私のお気に入りの1本に加わると思います。キャストが本当に良かったです。倍賞さん、余さん、宮沢さん、小野さん、真飛さん、金子さん、そして桑名くん(子役)、良かったと思います。

 

 

私は、この映画、超!超!お薦めしたいと思います。原作小説を先に読んでしまったので、映画化に際して削った部分が少し気になってしまいました。でも、この映画は原作を先に読んでから観ると、映画に原作で読んだ部分を足して完璧な映画になると思いました。映画だけでも十分に感動作で号泣なのですが、原作もあるともっともっと深みが出ると思います。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

 

「52ヘルツのクジラたち」