「サン・セバスチャンへ、ようこそ」ウディ・アレンらしい作品でした。年を取っても人の話は聞こうよ。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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「サン・セバスチャンへ、ようこそ」

 

を観ました。公式のXで試写会が当たりました。

 

ストーリーは、

ニューヨークの大学の映画学を専門とする教授で、売れない作家のモート・リフキンは、フランス人監督フィリップの広報を担当している妻のスーに同行して、サン・セバスチャン映画祭にやってくる。リフキンは妻とフィリップの浮気を疑っているが、そんな彼が街を歩くと、フェデリコ・フェリーニ監督の「8 1/2」の世界が突然目の前に現れる。さらには、夢の中でオーソン・ウェルズ監督の「市民ケーン」、ジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」の世界に自身が登場するなど、クラシック映画の世界に没入する不思議な体験が次々と巻き起こる。

というお話です。

 

 

ニューヨーク出身の頭の堅い映画評論家モート・リフキンは、セラピストに最近起こった出来事を話している。回想では、彼は若い妻のスーに同行して、サン・セバスティアンの映画祭に参加している。彼女は、反戦映画が傑作として世界的に称賛されているフランス人監督フィリップの広報担当者として働いていた。モートはスーとフィリップの浮気を疑っており、その事に嫉妬していた。

 

そんなモートの妄想は、ひとりサン・セバスチャンの街を歩いていると、市民ケーン、ブレスレス、ジュールズとジム、男と女、ペルソナ、ワイルドストロベリー、絶滅の天使、8 1/2などの有名なモノクロ映画の世界に引き込まれ、いくつもの悪夢を見ることとなる。



 

モートは自分の今までの人生と、長い年月に渡り書いてきた小説を思い返し、今度こそ小説を書きあげようと考えていますが、達成出来る見込みはありません。若い頃に大学で映画を教えていた頃は、幸せを感じて沢山の刺激を受けていたのに、今は何もありません。

 

スーとフィリップの浮気を疑って、イライラし胸の痛みを感じたモートは、友人に紹介された医師の診察を受けることにする。医者として現れたのはジョアンナという女性。彼女は以前ニューヨークいたが、気まぐれで不誠実な夫とこの地に移ったらしい。モートとジョアンナは気が合い、ジョアンナは車で観光案内をしてくれる事になる。モートは何となくジョアンナに気持ちが動き、妻も浮気をしているのだからという気持ちになっていくのだが…。後は、映画を観てくださいね。

 

 

ウディ・アレン監督の最新作です。今年はもう1作、ウディ・アレン監督作品が公開されるらしいです。この作品、ウディ・アレン監督らしい作品でした。きっと観ていると、はいはいそうだよねって感じで、監督を感じられると思います。それくらい、この雰囲気は印象的だと思います。

 

主人公のモートとスーは、随分年の離れた夫婦です。モートは映画を教えていただけあって、映画の知識が豊富で、その知識の多さにスーが一目惚れをしたらしく、結婚したようでした。でも、長く一緒にいると、知識をひけらかし、自分の考えを曲げず、人の考えを聞かないという悪い部分が見えてきて、100年の恋も冷めてきてしまったようです。

 

 

そんなスーの気持ちに気がついていながら見ない振りをして、このサン・セバスチャンへ一緒に来たモート。ちょっと可哀想なんだけど、自分のせいですよね。考えを曲げないし人の話を聞かないというのは、やっぱり害悪だと思うんです。どんなに年を取っても人の話には耳を傾けるべきだし、考えを曲げない事も大切だけど、ある程度頭を柔軟に保って、そんな考え方もあるのかなと、少し考えてみるくらいはするべきでしょ。頭から受け付けないのでは、話しになりません。

いやぁ、私は映画好きには、こういう頭の堅い解説者とか評論家が多いよなぁと思っているんです。だって、若い人が作るキャンキャンした映画も観てあげるべきだし、アニメだってなんだって、創作するものは受け入れて、観てみるべきでしょ。映画好きって、いつまでもフェリーニが良いとかゴダールが良いとか、そんな事ばかり言っているんです。

 

 

いいんですよ、好きな映画なんだろうし、何度も観ていても良いんだけど、現代映画が好きな人にそれを押し付けるのはどうなのかしら。私も美術系の大学だったから映像学もあったりして、映画を観せられて、場面場面の構図がとか、あーでもないこーでもないというのを聞かされたんです。確かに安定した構図で観ていて気持ちが良いのかもしれないけど、みんながみんなそうとは限らないでしょ。モネの絵が好きな人もいればフランシス・ベーコンが好きな人もいる。誰もが同じ感覚じゃないんです。

 

実は、ウディ・アレン監督作品にも、ちょっとそんな感じがありますよね。古い映画好きでしょ~こんなのが好きでしょ~ちょっとコケティッシュな感じがおしゃれでしょ~っていうのを、観ている方に押し付けてきている気がして、私はそれほど好きなタイプの映画ではないんです。面白いし、楽しめる作品なんだけど、この場面はあの古い映画からの引用だよとか、同じシチュエーションの構図だよとか、そりゃ、好きな人には良いけど、別にどーでも良いと思ってストーリーを観ている人間にとっては押し付けてこないでよって気持ちがあるんです。

 

 

よく古い映画とのコラボが解った方が楽しめると言うけど、好きな映画でもないのに、また新しい映画で同じものを観せられたら、ちょっとゲンナリしちゃうんです。好きな映画なら良いですよ、ターミネーターとかトップガンとか、ジブリ作品とか、そういう俗世の作品が好きな私は、孤高のフェリーニがとか言われても、ふーんってなっちゃうんです。

 

話を映画に戻して、モートはスーも浮気をしているだろうから、自分もジョアンナと上手く行かないかなと期待していたんじゃないかな。だから、妄想で、古い映画のシチュエーションを観たりしたのだと思います。だって、ジョアンナの夫は本当にクズなんです。

 

 

ジョアンナの夫は芸術科なので、アトリエで絵を描いているんだけど、そのモデルと平気で浮気をしてるんです。それも夫婦のベッドで寝てるんだから最悪でしょ。いくら何でもルール違反です。相手の女も何を考えてるんだか、脳ミソ入ってないんじゃないの?それでもジョアンナは我慢して結婚しているんだよねぇ。私には理解出来ないけど。だって、ジョアンナは医者だから経済的にはひとりで大丈夫なのよ。あんな男なのに、どこか好きな部分があるんでしょうね。

 

頭の堅いオッサンが捨てられるのは何が原因なのかということがよく描かれていたと思います。悪い人じゃないんだけど、一緒にいてしあわせになれる人じゃないよね。モート本人が、妻の浮気を疑いながら妄想で、何故自分はダメなのか、何故小説が書けないのかという理由を探していたのかなと思いました。面白かったですよ。

 

 

私は、この映画、お薦めしたいと思います。雰囲気を押し付ける部分はちょっとイヤだけど、面白い映画でした。古い映画を引用して現在の自分の気持ちを妄想するというのも、面白かったと思います。年を取ってから気付くんじゃなくて、こういう映画で人の振り見て我が振り直せって事なのかな。人間は柔軟性が大切です。堅いままでは、生きるのが辛くなりますよ。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

 

「サン・セバスチャンへ、ようこそ」