「屋根裏のラジャー」
を観てきました。TOHOシネマズさんの試写会が当たりました。
ストーリーは、
少女アマンダの想像が生み出した少年ラジャーは、彼女以外の人間には見えない「想像の友だち(イマジナリ)」。ラジャーは屋根裏部屋でアマンダと一緒に想像の世界に飛び込み、喜びにあふれた毎日を送っていた。しかし、イマジナリには人間に忘れられると消えていくという、避けられない運命があった。
というお話です。
彼の名はラジャー。世界の誰にも、その姿は見えない。なぜなら、ラジャーは少女の想像の友だち"イマジナリ"。イマジナリには運命があった。人間に忘れられると、消えていく。いつも楽しくアマンダと遊んでいたラジャーだったが、アマンダと共に外に買物に出かけた時、ミスター・バンティングという謎の老人に命を狙われる。ラジャーの危機に気が付いたアマンダは、彼を助けるためにラジャーと一緒に駆け出し、車に轢かれてしまう。
事故となり、アマンダは救急車で運ばれてしまう。一人残されたラジャーは家にも帰れず途方に暮れていると、そこへジンザンという猫が現れ、イマジナリは想像主がいなくなると行き場がなくなるから生きていけるところへ行こうとラジャーを案内する。彼はラジャーを図書館へ連れて行き、そこは想像の宝庫だから、そこでなら生きていけると教える。
そこは、かつて人間に忘れさられた想像たちが身を寄せ合って暮らす「イマジナリの町」だった。ラジャーは、その町でエミリというイマジナリに出会う。彼女も想像主と別れてこの町に来た一人だった。この町では、誰かの夢に参加するという仕事があり、その仕事の時には図書館を出れるのだが、それ以外に出てしまうと消えてしまうようだ。
イマジナリは想像主がその存在を忘れてしまうと、消えてしまうのだ。ラジャーはどうしてもアマンダのところへ戻りたいと考え、アマンダを探しに出て行くという。もし、見つからなかったら消えることになると言われるが、それでも探しに出ていく決断をする。しかし、彼の前に、また謎のミスター・バンティングが現れる。果たして彼は何なのか。
世界は残酷で愛に溢れている。勝つのは想像か、それとも現実か。
ラジャーと仲間たちの「誰にも見えない戦い」が今、始まる。後は、映画を観てくださいね。
今日から公開との事ですね。実は、試写会で観てしまいまして、早く感想を書きたかったんだけど、他に書かなくちゃいけない感想が溜まっていたので、そちらを優先してしまいました。でも、公開日に書けて良かった。
この映画は、スタジオポノックの新作です。海外の子供向け文学作品「The Imaginary」をアニメ映画化したものです。うーん、ポノックの作品は、ジブリの絵を引き継いでいて、絵的には好きなタイプなんだけど、毎回、海外の子供文学を映画化していて、あまり面白いと思えないんですよね。「メアリと魔女の花」もそうなんだけど、主人公の少女の目線のみで構成されているので、結局、謎がそのまま置き去りだったりしちゃうんです。
今回のこの映画も、謎は全く解明されず、子供向けなんだからそれでイイんだと言われたらそれまでなんだけど、私はスッキリしなかったなぁ。きっと子供だってそうじゃないのかしら。イマジナリが想像の産物であり、想像主が忘れたら消えていくというのは理解出来るし、私にもイマジナリは沢山いたから、このお話は解るんです。一緒に遊んでいて、大人になると忘れちゃうけど、でも、時々ふと思い出したり、懐かしいノートを見て思い出したりすると、想像がまた膨らむのよ。その世界観は、とっても良い作品だと思うんです。
でも、ミスター・バンティングという老人が出てきて、何故かイマジナリを襲って行くんだけど、その謎が全く解明されないんです。彼はイマジナリではなく、人間だということは途中で解明されるんだけど、彼がイマジナリを襲う理由が解らないんです。そして、彼が連れている女の子も謎のままなんです。それとも、私が途中で見逃したのかしら。この部分が、どうしてもスッキリせず、終わってもモヤモヤしています。
それ以外の内容は子供の頃のイマジネーションを膨らますような、良い作品だと思いました。子供の頃は、本を読んだり音楽を聞いたりして、色々な事を想像しますよね。クラシック音楽を聞けば踊っていたし、本を読んでは自分が主人公になり切って、ごっこ遊びをしていました。あの頃は何にだってなれたし、何でも出来たんです。
大人になると限界が解かってくるし、ルールというモノがある事を知り、これはダメ、あれはダメということが増えてしまい、どんどん想像力が削がれてしまう。そしてどんどん面白くない人間になってっちゃうのよね。私が周りから変わっているとか、違うと思われたのは、こだわりが強く、そういう想像することを人よりも諦めなかったからだと思うんです。他人と合わせることが苦手で、本を読んだり映画を観たりを好んで、どちらかというと自分の世界に住んでいたタイプだったからかな。だから、今だってそれなりのイマジナリは回りにいますよ。
このお話は、きっと大人になっても想像力を失くさないでということなんだと思います。想像力が無くなったら、思いやりも無くなり、コミュニケーションも上手く行かなくなるでしょ。スーパーで買物をする時でも、後から買う人が気持ち悪くないように綺麗に並べたままで出来るだけ上から買おうとか、横断歩道で車が来ていたら少し走って渡ってあげるとか、それって、相手の気持ちを想像してやることでしょ。
自分の気持ちだけで動いている人って、スーパーでもぐちゃぐちゃにするし、車が来ていても平気でスマホをいじりながら横断歩道を渡っている。それって、想像力の欠落ですよね。想像力が無いと、事故にだって遭いやすいよね。周りが見えていないんだから。そんな人間ばかりでは、世界は上手く回りません。
大人になったって、想像のお友達がいてもイイんです。ぬいぐるみに話しかけたって、壺に悪口を閉じ込めたってイイんです。自分のストレスをそんな架空の友達との交流で解消が出来るなら、そんな良い事ないでしょ。私は時々、自分の背中に”スタンド”がいると想像してムカつく相手を倒してますけどね。(笑)
映画の話から離れちゃってごめんなさい。映画は、どーもシックリしませんでした。良い作品だということは解っているのですが、やっぱり海外の子供文学は、あまり日本には合わないんじゃないかな。もっと、昔から日本で親しまれている児童文学や子供向けのお話を映画化した方が、解りやすいし、喜ばれるような気がします。「窓ぎわのトットちゃん」は、とても良く出来ていましたよ。
海外作品でも日本で知られている文学作品なら親しまれているし、映画化しても良いんじゃないかな。まぁ、有名な作品は海外で映画化されちゃっているのかな。
私は、この映画、お薦めしたいと思います。でも、今一つでした。謎のままの部分があるし、イマジナリの存在は人間の想いに左右されてしまい、どうしようもないという部分は変わらないので、捉え方によると思いました。それを哀しいと思うのか、運命と思うのか、人それぞれです。私は自分のイマジナリは捨てない、諦めない気持ちを持続させたいと思っています。そんな映画でした。ぜひ、観に行ってみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
「屋根裏のラジャー」