「正欲」
を観てきました。
ストーリーは、
横浜に暮らす検事の寺井啓喜は、不登校になった息子の教育方針をめぐり妻と衝突を繰り返している。広島の寝具店で働きながら実家で日々を過ごす桐生夏月は、中学の時に転校していった佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知る。大学のダンスサークルに所属する諸橋大也は心を誰にも開かずにいる。学園祭実行委員としてダイバーシティフェスを企画した神戸八重子は、大也のダンスサークルに出演を依頼する。
というお話です。
横浜に暮らす検事の寺井啓喜は、息子が不登校になり、小学校よりやりたい事を優先すると言って、動画配信を始める。不登校支援スクールの先生が手伝ってくれるが、啓喜は気に食わない。息子の不登校を理解し始めた妻とも関係が悪くなっていく。
広島のショッピングモールで寝具販売員として働く桐生夏月は、実家暮らしで代わり映えのしない日々を繰り返している。ある日、同窓会の連絡を受け、中学のときに転校していった佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知る。
ダンスサークルに所属し、準ミスターに選ばれるほどの容姿を持つ諸橋大也。ダイバーシティをテーマにした学園祭イベントで、大也が所属するダンスサークルの出演を計画した神戸八重子はそんな大也が気になっていた。しかし大也は纏わりついてくる八重子をウザいと思っており、何度も遠ざけようと冷たくするのだが。
夏月と佳道は、自分たちが一般の人々とは違う性的思考を持っていることを負い目に感じており、同じ性的思考を持つお互いを大切に生きて行こうと考え始める。
大也は誰からも理解されることを拒み、八重子は男性恐怖症でありながら大也に好意を抱いてしまう。どこまでも一方通行である。
同じ地平で描き出される、家庭環境、性的指向、容姿、様々に異なる背景を持つこの5人。だが、少しずつ、彼らの関係は交差していく。後は、映画を観てくださいね。
原作を先に読んでから、観に行きました。ほとんど、原作通りの展開であり、頷けることばかりでした。私も、生活の中や、ブログの文章で、「普通」という言葉を使ってしまいますが、「普通」と言いながら、普通じゃないんですよね。自分勝手な思い込みで使っているんです。なので、この世の中に、普通なんてあり得ない。あと、「常識的」という言葉ね。これも、何が常識なのか、人によって違うのだから、「常識」じゃないんですよ。
私は常々思っていて、時々、”普通と言っても自分の普通です”と、このブログでも書いていますが、なんたって、自分が書く文章ですから、自分の脳の中の知識や経験しかないので、万人の普通なんて知らないんです。だから、普通じゃなくて、私の考えなんですよね。それを、この小説&映画は描いているのだと思います。
みんな違うんだから、性癖だって違いますよね。S〇Xが嫌いな人もいるだろうし、水の流れが艶めかしく見えて欲情する人だっているだろうし、フェチといえば、何でもあるでしょ。足フェチや耳フェチ、私はぬいぐるみフェチだし、本フェチでもあるかな。そんな事、みんなあるでしょ。だから、自分と違うからって、おかしいよって言う方がおかしいのよ。
子供は可愛いというのも思い込みです。誰もが子供を可愛いと思うと思ったら大間違い。うるさいと思ったり、ウザいと思う人もいるでしょ。ベビーカーを引いて子供と歩いていれば、誰もが助けてくれる、かわいいと思ってくれると思うだろうけど、迷惑だと思う人、沢山いますからね。
以前、ある人が、妊婦さんと夫が歩いているのを見て、あの2人がS〇Xして、お腹に寄生中みたいのが出来たんだねと言って、ちょっとゾッとしながら頷いてしまいました。その夫婦がS〇Xしてるところを想像すると気持ち悪いし、子供がお腹にいると思うと、嫌悪感が湧いてきました。
この嫌悪感。映画の中で、夏月が仕事場で話しかけてくる妊婦に向けた視線がそうでしたよね。きっと、あの妊婦は結婚していない夏月にマウントをかけたんだと思うけど、勘違いも甚だしいかな。誰も、妊婦になって働いているあの女性を羨ましいとは思わないでしょ。哀れみしか感じないです。それも人によって感じ方は違うよね。
現代では、大騒ぎする人が正しいみたいな風潮があるけど、誰もが間違っている事もありますから。自分がいう事を認めないからって、相手が間違っているというのはおかしいでしょ。お互いに主張があるし、趣味がある。それぞれに経験が違うのだから、正解はおのずと違ってくるのは当たり前です。そして、嫌悪感も人それぞれ、違うんです。
この映画で、今、それを言われて、見方が変わると言われても、私自体が、昔から変わっていると言われているので、何も見方は変わりませんでした。私はどちらかというと、夏月や佳道側なんです。でも、それを負い目に感じたことはありません。結婚したければすれば良いし、したくなきゃしなくても良い。子供なんていない方が楽なんだから、作る必要もない。S〇Xが気持ち悪ければやらなきゃいい。反対に、やりたきゃやれば良い。
ある時から、私は、人と違って何が悪いんだという気持ちが芽生え、他人が気にならなくなりました。というか、別次元の人だから、適当に返事をするだけでいいなー、くらいしか思わなくなりました。人って、人の話を聞いてませんよね。街中でも、どんな場所でも、自分の話は必死でするけど、人の話は一切聞いていない、そんな人ばかりです。一生懸命聞いてあげるのが、馬鹿らしくなったんです。そんな事に気付いたことってありませんか?
啓喜の息子が不登校になって、動画配信で元気になっていくという部分があって、学校に行くよりやりたい事をやる方が有意義みたいな部分があるけど、子供の頃から金儲けがやりたい事なの?やりたい事って、そういうことじゃないと思うんだけど。例えばネット系に興味があるなら、システムの構築とかの勉強をすれば良い訳で、動画配信は只の金儲けでしょ。
これで金儲けが出来て、自立出来ると言っていたけど、いつまでも人気が続かないでしょ。特に子供動画は、幼児性愛好者が見る部分もあるから再生数が上がるだけで、大人になったら誰も観ません。そうなると、啓喜が言っていた通りになってしまうと思うんです。不登校の問題は、もう少し原因を知るなど、社会全体で、もう少し考えるべきなんじゃないかな。好きにすればと投げてしまったら、そこで終わってしまいますから。
この原作小説も衝撃的でしたが、映画化して映像で観ると、とても生々しく感じて、世間での生きづらさが、とても良く伝わってきました。多様性を認める世界を求めながら、頭の中の固定概念は消えず、何が正しいのか解らないまま突き進んでいく人間たちの姿が、よく描かれていたと思います。
自分は違うという事に気が付いて、生きづらいと感じているなら、違う事を負い目に感じず、今の自分を一番好きになって欲しいです。人と違う自分は素晴らしいんだと思うべきです。何が好きでも、何に欲情するんでも、人に迷惑をかけなければ問題はありません。自分だけで解決出来る手立てを見つければ、もう人と関わる必要は無いんです。自分だけの無敵の砦を築いてください。
私は、この映画、超!超!お薦めしたいと思います。但し、この映画の内容が、理解出来る方と出来ない方がいらっしゃると思います。啓喜のように、自分の普通が正義だと思ってしまっていると、視野が広がらず、夏月たちが、何故生きづらいのか理解が出来ないのではと思います。なので、万人受けする作品ではないと思って、観に行ってみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
「正欲」