「月」
を観てきました。
ストーリーは、
夫と2人で慎ましく暮らす元有名作家の堂島洋子は、重度障がい者施設で働きはじめる。そこで彼女は、作家志望の陽子や絵の好きな青年さとくんといった同僚たち、そしてベッドに横たわったまま動かない、きーちゃんと呼ばれる入所者と出会う。一方、他の職員による入所者へのひどい扱いや暴力を目の当たりにする。そんな理不尽な状況に憤るさとくんは、正義感や使命感を徐々に増幅させていき…。
というお話です。
深い森の奥にある重度障害者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子。彼女は“書けなくなった”元・有名作家だ。デビュー作で受賞をして有名になったのだが、編集者に随分と手を入れられ、自分が書きたかったこととは変わってしまい、その後の大きな出来事により、書けなくなってしまったのだった。
今は、彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。昌平は、アニメーション作家になることが夢で、アルバイトをしながら、一人で作っている。小説という創作をする妻の洋子を尊敬しており、今も”師匠”と呼んでいるのだ。
障がい者施設で働き始めた洋子は、他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにするが、それを訴えても聞き入れてはもらえない。行政の決めたルールでやっているだけだと言われてしまう。
世の理不尽に誰よりも憤っているのは、この施設に長く勤めている”さとくん”だった。優しくて真面目なさとくんは、誰よりも障がい者の事を思い、紙芝居を作って話をしたり、施設に絵を描いたり、とても熱心だった。しかし、どんなに頑張っても、意志の疎通が出来ず、感情も無い。そんな障がい者たちに対して、増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく。
そんなさとくんの狂気に気付き始めた洋子は、彼を止めようと考えるのだが。後は、映画を観てくださいね。
この映画、衝撃的でした。観るだけで、こんなにも心が揺れるのに、これ、制作した方々、大変だったと思います。特に、監督や役者さんたちは、自分の汚い部分に正面から向き合わなくてはいけなくなるので、どうやって演じたのか、どうやって演出したのか、凄い体力だと思います。撮影した後、ボロボロになったんじゃないかな。それくらい、心にグサッとナイフを刺されるような内容でした。
津久井やまゆり園の大量殺人事件をモチーフにして書かれた小説を、映画化した作品です。やまゆり園の事件、ニュースで見た時は衝撃でした。もちろん、犯人は気が狂ってると思ったけど、いや、もしかしたら、彼と同じ環境で仕事をしていたら、自分がやっていたかもしれないという気持ちにもなったんです。何故なら私も、理不尽な扱いを受けている障がい者の方々を見て、生きていたいと思っているのかしらと疑問に考えたことがあるからです。
この映画の中でも描かれますが、誰もが、表向きには綺麗ごとしか言わないんですよ。障がい者に対しては、みんな見て見ぬ振りをして、他人事のように大変ですねとか、障がい者に優しい世界になると良いですねと言うけど、本当のところ、自分は関わりたくないと思っているんです。障がい者など、自分の世界には居ないと思っているんです。
家族だって、家で面倒を看きれないし、こういう施設に入れるしかないでしょ。住宅街に作ったら、恐いとか、声がうるさいとか、苦情が出るし、だから、森の中に施設を作ったんだと思うんです。そして、隠された場所で、職員は解っているのかどうか判らない障がい者相手に、お世話をして、介護をしていく。暴れたり攻撃されれば、職員だって、つい怒りで反撃してしまいますよ。それは解るんです。だから、施設長なども、厳しいことをあまり言わないようにしていたんじゃないかな。
そんな施設の中で、毎日、同じことをしていたら、おかしな考え方が顔をもたげてくると思うんです。意志が無いのに、心が無いのに、生きている意味はあるんだろうかと。ペットだって、意志を現して文句を言うのに、障がい者は、ただ本能だけで意志が無い、心が無い。そう思ってしまったら、さとくんのような行動に出てしまう人がいるかもしれないと思いました。きっと、私なら、そう思うと思うからです。
私は、障がい者の方とは、仕事で施設を作ったりしているので、関わることが何度もありました。でも、何度関わっても、意志の疎通が出来ないので、横に居ても”物”のような認識になってしまうんです。後から、あの時にああしておけば良かったかもとか、何か話してあげれば良かったかもとか考えたりするのですが、次回に逢うと、また同じ状態で、悩んだ自分が馬鹿らしくなってくる。私には、彼らが理解出来なかったんだと思うんです。でも、どうやったら理解が出来るんでしょうね。
現代では、出生前診断が出来るようになり、もし、障がいを持っているようなら中絶するという判断が出来るようになりました。私は、賛否あるけど、良い事だと思っています。障がい者として生まれてきた子供が、意志の疎通が出来て、障がいがあっても元気に育ってくれるというなら良いですが、全く意思の疎通が出来ない障害で生まれてくることもあるんです。そして、障がいがあれば、やはり差別はあるので、その子は、差別と向き合って行かなければならない。生涯、自分の障害と付き合って行かなければならない。それを考えたら、私は、自分の子供に障がいを背負わせるのは辛いです。
もちろん障がいは、生まれつきだけではないので、事故や病気などでなることもあります。その場合は、やはりこういう施設に頼るしかないのかなと思いました。でもね、後から障害を負ったら、私なら殺して欲しいと思うかな。でも、きっと殺して欲しいという意志も伝えられないんでしょうね。本当に辛いです。もしも、こういう場合は、人工呼吸器を使わないで欲しいとか、治療をしないで欲しいと書いておかなければいけないのかもしれませんね。
この映画、凄く考えさせられました。そして、自分の中の汚い部分にも向き合うべきだと思いました。誰だって、綺麗なモノだけを見ていたいでしょ。私も、汚いモノは見ずに、綺麗なモノだけを見ていたいけど、人間が生きて行くには、やはり汚い部分にも向き合わなければいけない時が来るんですよね。そして何が正しいのかを考えなければいけない。
NHKで手塚治虫先生と大林宜彦監督のお話をやっていて、戦争を体験した人たちは、正義とは勝った者の言い分で本当の正義ではなく、その時に大切なのは、「正気」なんだと思うと言っていました。この映画でも、正義ではなく、何が「正気」なのかという事なんです。正しい自分の気持ちと向き合って、人間とは、という事を考えることが”正気”なのではないかと思いました。
意志が無ければ無駄だという無機質な考え方ではなく、感情で向き合わなければ。自分の中に、どんなに汚い部分があったとしても、殺してあげた方が楽になれるんじゃないかという考えが頭をもたげたとしても、目の前には人間がいて、そこに生きているんです。命は地球より重いなんて綺麗ごとは言いません。でも、生きていたら踏みつけたくない。自分と同じ生物なら、やっぱり殺せません。無理なんです。どこかでストッパーがかかってしまう。それが”正気”なんじゃないかな。
宮沢さん、オダギリさん、磯村さん、二階堂さん、この4人がメインで出演していたのですが、本当にしんどい映画だったんじゃないかと思います。宮沢さんは、いつもの美しい宮沢さんを封印して、心に闇を抱える女性を演じてくださいました。磯村さんは、段々とおかしな考えに突き動かされていく姿がとてもリアルで、精神的に大丈夫かなと心配になりました。早く”きのう何食べ”のジルベールで、素敵な磯村さんに戻ってください。
私は、この映画、超!超!お薦めしたいと思います。上映館も少ないし、あまり話題になってはいません。やはり、汚いモノは観たくないという気持ちが先行してしまい、宣伝はしていないのでしょうね。でも、これは観るべき作品だと思いました。逃げないで観て欲しい。そして、考えて欲しいです。障がい者を見たくない、関わりたくないという本音は解るけど、でも、現実を見て欲しい。社会の中の一員として、障がい者も一緒に生活をしているんですから。ぜひ、観に行ってみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
「月」