イタリア映画祭にて、
「無限の広がり」
を観ました
ストーリーは、
ボルゲッティ一家は、ローマの新居に引っ越して来たばかり。シチリア生まれの厳格な夫フェリーチェとスペイン人の妻クララには3人の子供がいるが、夫婦関係は冷めきっている。12歳の長女アドリアーナはそんな2人を見ながら、家庭崩壊の危機を感じ取るが、うまく立ち回れない自分にもどかしさを感じる。
アドリアーナはそれだけでなく、自らにアンドレアという男性名をつけて、男の子として振る舞う。それは美しい母親を父親の暴力から守ってあげたいという気持ちの表れでもあった。宇宙と交信しながら、自分がテレビのスター歌手だと妄想しながら、男の子になろうとするアドリアーナは、ある日、近所の竹やぶを抜けた場所にあるバラックで、ジプシーの少女サラと出会う。
サラと交流を深める一方で、両親の不仲は加速。ついにクララは神経症をきたし、施設に入る事となる。そして母の不在をきっかけに、アドリアーナは自分を見つめ直して行く。
というお話です。
この映画は、1970年代として描いているようでした。この時代、まだトランスジェンダーなどという言葉は使われておらず、主人公のアドリアーナは、女の子なのに、何故か男の服を着て、自分はアンドレアだと言い張り、男として振る舞っています。両親には、その意味が伝わっていませんが、アドリアーナは、自分が女性として生きている事に不満を持っているんです。
でも、その時代には、そんな事、誰も理解してくれず、ふざけて困ることをして、興味を引きたいだけだろうと言われ、言い返すことも出来ずに、悶々としています。そりゃ、そうだと思います。だって、自分が女であることが嫌だと言っても、それを変える術はなく、自分の気持ちを表したくても、その表し方が解からない。そんな時代だったのだと思います。
アドリアーナの母親は、とても美しく、誰もが振り返るような美人でしたが、イタリアの地では異邦人。スペイン人だったんです。なので、夫の親族や友人たちとは、少し考え方が違い、息苦しい生活をしていました。それに、夫のフェリーチェは、平気で浮気をしており、妻が知ってもお構いなし。お金は稼いでいるのかもしれないけど、男性としては酷いものでした。
夫は、浮気だけではなくDVもあり、母親が殴られるのを助けたいと思い、アドリアーナは、夜に両親の寝室に忍び込んで騒いだりと、結構、酷いことをしていました。うーん、それはDVじゃなくて、夫婦の営みなんだよーって言ってあげたかったけど、アドリアーナには暴力に見えたんでしょう。ま、確かにクララも嫌がっていましたしね。夫婦でも、嫌がる妻にSEXを強要するのは、DVですからね。だって、浮気している夫ですから、やりたくないですよ。
そんな事もあり、アドリアーナはどんどん反抗的になっていきます。クララは、そんな娘の事も心配ですが、その上、夫の浮気が、浮気以上になってきて、もう、頭の中がぐちゃぐちゃになり、精神的に追い詰められてしまいます。どう見ても、これは夫が悪いのですが、夫は一度も謝っていませんでしたね。本当にムカつく男でした。
この時代だから、こんな勘違い男がいたのでしょう。稼いでいれば、何をしても良いなんて思ってたら大間違いです。もちろん、妻も浮気をして、ツバメでも抱えられるほど稼いでくれて、自由にさせてくれるなら、妻も文句を言わないかもしれません。でも、それなら一緒にいる意味が無いんじゃないの?子供の教育にも悪いから、別れた方が良いと思うけど、やはりこの時代だから、簡単に離婚が出来なかったのかもしれません。
アドリアーナは、女として生まれたけど、心は男なので、美しいロマの少女に恋をするんです。でも、その気持ちを伝えることは出来ず、それが恋ということも、よく解っていなかったのかもしれません。でも、確実に、アドリアーナはアンドレアとして、少女に恋をしていたのだと思いました。様子で解りましたから。こんな子供なのに、気持ちが解らないし、伝えられないしで、本当に可哀想だなと思いました。もし、この年代の時に、親が解かってあげていれば、もう少し、楽に生きれたのかもしれません。
この映画の監督である、エマヌエーレ・クリアレーゼさんですが、この映画がヴェネチア国際映画祭でコンペティション部門にノミネートされた時に、自伝的映画だと言い、自分が性転換して男性になったことを公表したそうです。アドリアーナに自分を重ねて、描いたのだろうと思います。不仲な両親と、自分を伝えられないアドリアーナ、それは、クリアレーゼ監督が体験した事だったのかもしれません。
私は、この映画、お薦めしたいと思います。1970年代のお話なので、トランスジェンダーという言葉も無く、ただ、どうしてこんな気持ちになるんだろうと悩む少女と、その時代の男と女の立場の風景が描かれており、今の考え方だと、ちょっとイライラしましたが、そんな時代だったのだと思うと、何とも言えない悲しい気持ちになりました。日本公開は決まっていないようですが、もし、機会があったら、ぜひ、観に行ってみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
「イタリア映画祭 2023」