「せかいのおきく」モノクロで真四角画面のおしゃれな時代劇で、一般市民の生活を描いています。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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「せかいのおきく」

 

を観てきました。公式Twitterで、完成披露試写会が当たったんです。

 

ストーリーは、

江戸時代末期。武家育ちである22歳のおきくは、現在は寺子屋で子どもたちに読み書きを教えながら、父と2人で貧乏長屋に暮らしていた。ある雨の日、彼女は厠のひさしの下で雨宿りをしていた紙屑拾いの中次と下肥買いの矢亮と出会う。つらい人生を懸命に生きる3人は次第に心を通わせていくが、おきくはある悲惨な事件に巻き込まれ、喉を切られて声を失ってしまう。

というお話です。

 

 

22歳のおきくは、武家育ちでありながら今は貧乏長屋で父と二人暮らし。父親は元勘定方だったが、あることでお役御免となり、廃業してしまったのだ。

ある日、突然の雨で雨宿りに入ると、その軒下で見知った顔に逢う。一人は下肥買いの矢亮、もう一人は紙屑買いの中次だった。以前から紙屋で顔を知っていた中次に良い印象を持っていたおきくは、つい中次にだけ微笑んでしまう。

中次は、稼ぎの悪い紙屑買いを辞め、矢亮の相棒として下肥買いを始める。底辺の仕事だが、暮らしていけないよりはマシだ。ある日、おきくの長屋に下肥集めに行くと、おきくの父親の松村源兵衛に会い、”せかい”という言葉を教わる。せかいとは限りなく大きなモノで、好きな人が出来たら「世界一好きだと言ってやりな。」と教わる。そして一言、”もう会うのは最後だと思うが”、と源兵衛は消える。



 

後日、中次はおきくと父親の悲劇を聞き、孫七を訪ねると、おきくは助かったが、喉を着られて、声が出せなくなってしまったらしい。しばらく経って、回復して帰ってきたおきくは、長屋の人々や寺の子供たちの優しさに触れ、また子供に文字を教える決意をする。

ある雪の降りそうな寒い朝。やっとの思いで中次の家にたどり着いたおきくは、身振り手振りで、精一杯に自分の気持ちを伝える。身分違いだからという中次に、それでも必死で気持ちを伝える。そして…。

後は、映画を観てくださいね。

 

 

時代劇なのですが、今までのお殿様が出てきたり、侍が戦ったりという時代劇ではなく、江戸時代の末期の一般市民の生活を描いているんです。長屋に住んでいる人々は、どちらかというと貧困層で、みんなで助け合って生きている人々なんです。

 

それぞれに仕事は持っているのですが、桶の修理屋とか、笠張とか、職人もいたのかな。そんな中でも、下肥買いという仕事があって、それは、今のように水洗トイレじゃない時代、汲み取りトイレなので、溜まった人糞を買って、運んでいき、田舎の農家に肥料として売るという仕事なんです。昔は、この人達がいないと、トイレは溜まりっぱなしで、大変な事になったのでしょう。そんな重要な仕事なのに、周りからは嫌がられ、下に見られてしまいます。不思議ですよね。自分が出したカスなのに、出てしまうと嫌がるという、人間の面白いところです。

 

 

そんな下肥買いの仕事をしている中次と矢亮。嫌な思いをしながらも、その仕事を続けています。ここら辺は、現代と同じで、少しでもお金の良い仕事をして、暮らしを楽にしたいと思っているからです。そして、いつの日か、あれもしたい、これもしたいという夢も持っています。この時代の若者は、どんなに貧困でも、夢と希望を持っていたんです。

 

おきくは、中次が気に入っているんだなという事が、映画が始まって、最初の場面で解ります。3人で雨宿りしていると、中次の顔を見た時だけ、とても明るい顔をするんです。直ぐに顔に出てしまうほど、素直で可愛い女性なんですよ。そして、父親譲りの正義感を持っていて、武家育ちなのに突然に長屋暮らしになっても、決して文句を言わない、強い女性なんです。そんな真っ直ぐなおきくに、中次も惹かれます。

 

 

とっても似合いの二人なんだけど、身分が違うので、中次は決して、正面から何かを話しかけるような事はしません。いつも遠慮をしているんです。でもね、時代は江戸末期。誰もが平等と言われる時代が、直ぐそこまで近づいてきています。おきくは、そんな時代を感じているのか、自分が好きだと思った人には、気持ちを伝えようと、前に進みます。サムライの時代が終わり、新しい時代が来ることを予感出来るような、そんな内容になっていました。

 

おきくの父親・源左衛門は、まだ、侍の時代の人間で、そのしがらみから抜け出ることは出来ず、長屋の孫七は、時代の変化を感じて長屋を出て行ってしまう。古い人たちは、それぞれに消えていき、若者が、次の時代をになっていくのだという事が描かれていて、とても気持ちの良い終わり方でした。それぞれに、不幸な事を経験し、辛い事もあるけど、きっと、良い日がくるよねっていうような内容で、素敵でした。

 

 

阪本監督が仰っていたように、この映画、”うんこ”の映画なので、下肥買いという仕事が重要になってきます。でも、思ったんだけど、日本は、こうやって下肥買いという仕事があったから、あの時代でも綺麗な街並みだったんですよね。ヨーロッパは汚いままだったから、それを踏まないようにハイヒールが作られたって聞いたことがあります。昔から、日本はトイレに関心があったのか、浄化槽を作ったり、ウォシュレットを作ったり、トイレが清潔で便利になるように考えられてきました。海外とは大違いです。それだけ、清潔という事を気にする民族なんですよね。

 

あ、でも、うんこの映画と言いながらも、とても美しい映画でした。モノクロで作られていて、画面の大きさは正方形っぽいんです。専門の言い方を知らないのですが、その画面使いもおしゃれでした。映像も良かったなぁ。明暗だけなのに、そこに鮮やかな色がついているように見えました。美しかったです。肥溜めも、そんなに汚くみえなかったですもん。(笑)臭いが無くて良かったです。

 

 

黒木さんが綺麗でした。本当に可愛い女性を演じていて、気が強くて芯が通った女性なんだけど、どこか儚げで守ってあげたくなるような、そんな女性でした。そんなおきくを好きになる中次役の寛一郎さんは、イケメンでしたねぇ。この時代に、こんなイケメンいるのか?っていうほど、イケメンでした。目がとても印象的で惹き込まれそうでした。

 

そして、池松さん演じる矢亮は、辛い仕事でも決してへこたれず、バカにされても自分に自信を持っているような男性に見えました。誰に何を言われても、必ず見返してやるというような意志を持ち続ける人だったんじゃないかな。

 

そんな3人を支える源左衛門の佐藤さんと、孫八の石橋さん。未来を若者に託して、スッと消えていく、大きな歴史のような存在で、このお二人がいる事で、時代の移り変わりがよく解って、未来に希望が持てるというお話になっていました。うーん、良かったです。

 

 

私は、この映画、超!超!お薦めしたいと思います。こういう映画をもっと作って、時代劇というと、チャンバラと言われなくなるようにして欲しいです。チャンバラばかりだと、日本では何かあると人を切っていたと思われそうでイヤです。それは一部の人だけで、普通の人々が沢山いたという事を、こういう映画で知って欲しいです。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

P.S: 完成披露の舞台挨拶で、100年後に残したい事という題名で、佐藤さんや寛一郎さんのは話題になっていたのですが、池松さんは”平和”って書いていたんです。これ、彼は仮面ライダーだから、こう書かずにはいられなかったと突っ込んであげて欲しかった!今も、平和の為に戦って…、違った、泡になってしまったんだった。(笑)

 

 

「せかいのおきく」