「モリコーネ 映画が恋した音楽家」
を観てきました。
ドキュメンタリー映画なので内容は、
世界的な名声を手にしたマエストロの一日は、驚くほど、”地道”な作業で幕を開ける。ただ、黙々と、ルーティーンのストレッチをこなすのだ。
幼かったモリコーネを音楽へ導いたのは、トランペット奏者の父親だった。父が決めた音楽院に入学するが、病に伏した父の代わりにナイトクラブでの演奏で家計を助けることになるなど、苦労の多い青年時代を送る。当時のモリコーネの心の支えは、学んだばかりの”作曲”だった。この時に教えを請うた偉大な作曲家ゴッフレード・ペトラッシが、モリコーネの生涯の心の師となる。
卒業後、恋人のマリアと結婚したモリコーネは、生活のためにRCAレコードと契約し数々の編曲を手掛ける。クラシックの高度な作曲技法と、当時の最先端だったノイズを多用した実験音楽を取り入れることによって全く新しいアレンジを生み出し、「編曲を発明した」とまで絶賛されたモリコーネは、ポール・アンカやチェット・ベイカーなど、人気アーティストからも指名されるようになる。
モリコーネの実力は評判を呼び、やがて映画音楽の仕事が舞い込むようになる。その中の一人、セルジオ・レオーネ監督はモリコーネの小学校の同級生だったこともあり、たちまち二人は心を許し合う。「荒野の用心棒」の印象深い口笛の曲が、二人のタッグの始まりを告げる狼煙となった。しかしモリコーネには、映画音楽に携わることに葛藤があった。師のペトラッシはアカデミックな音楽家にとって、商業音楽を書くことは道徳的に非難されると考えていたのだ。「自分は裏切り者だ」と苦悩したモリコーネが、どうやって誇りを取り戻したのか、カメラは彼の心の内側に迫る。
やがて葛藤を乗り越えたモリコーネは、「製作者や監督にとって”成功の保証”となった」とジュゼッペ・トルナトーレ監督が証言する。あの異才にして巨匠のスタンリー・キューブリック監督までがモリコーネにオファーしたが、おそらく嫉妬にかられたレオーネが勝手に断ったという仰天の事実が明かされる。どうしてモリコーネはこれほどまでに引っ張りだこになったのか。モリコーネと同時代の作曲家ジョン・ウィリアムズや、その後を追うハンス・ジマーが、音楽的な分析を披露する。
盟友レオーネとの最後の作品となった「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は高く評価され、「商業音楽に魂を売った」とモリコーネを無視していたかつての学友が、彼に謝罪の手紙を書くなど、音楽界の”事件”となった。モリコーネ自身の中でも一区切りがつき、彼は映画音楽を離れようと決心する。だが、そんな彼を惹きとめたのも、やはり映画だった。「ミッション」のラッシュを観て、純粋に心を揺さぶられ、魂を込めた音楽を書き上げたのだ。だが、確実視されたアカデミー賞を逃し、「理解してもらえない」と傷ついたモリコ-ネは、自身の原点である室内楽の作曲へと戻っていく。
今度こそ本当に映画音楽と決別したモリコーネに、フェリーニ作品で知られる名プロデューサー、フランコ・クリスタルディから依頼が届くが、モリコーネは即座に断る。ところが強引に送られてきた脚本を読んだモリコーネは心を変える。当時、全く無名の新人監督に自ら電話をかけ、「私が曲を書こう」と申し出たのだ。彼こそがジュゼッペ・トルナーレ。モリコーネに映画の楽しさを思い出させたのは、「ニュー・シネマ・パラダイス」。モリコーネの新たなるステージの始まりだ。
それからのモリコーネに迷いはなかった。9.11の悲劇に捧げたシンフォニー、アカデミー賞名誉賞受賞、南米・アジア・欧州を回るコンサートでの観客の熱狂、6回目のノミネートで果たしたアカデミー賞作曲賞受賞。最後にマエストロが、親友トルナトーレのカメラを通して、私たちに伝えてくれたことは?(公式HPより)
という映画です。
この映画、モリコーネさんの若い頃から現代までの歴史を追いながら、映画の歴史も追っていくことになるので、映画好きにはたまらない、世界の映画史を観れることになります。最初は、王道のクラシックを学んでいましたが、結婚し、家庭を持ったことで、生活を安定させるために、色々なアーティストの依頼を受けて、編曲を手掛けていたそうです。確かに、クラシックをやっていただけでは、食べていけないので、そういう仕事を受けていたのでしょう。
でも、その仕事が評判になり、沢山のアーティストから依頼が来るようになったそうです。彼のアレンジは、その当時としては新しいもので、クラシックをベースに、ノイズを入れたりと、実験的な音を組み込んで、テンポの良い音楽を作って行ったようでした。
そんなモリコーネに映画界も目を付けて、映画音楽をやってくれないかという依頼が来たようでした。でも、クラシックをやっている彼からすると、それこそポピュラー音楽を作るなど、クラシック界を裏切ることになるんじゃないかという思いがあって、随分と悩んだようでした。
「荒野の用心棒」では、黒沢映画の音楽をベースにして考えたそうです。その映画のセルジオ・レオーネ監督とは、小学校の同級生だったそうで、話しが盛り上がり、音楽を受けたそうです。確かに、あの音楽を聞くと、直ぐにクリント・イーストウッドのガンマンの姿が浮かんでくるほど、ピッタリの映画ですよね。と言いながら、私、実は、この映画、全編を観たことがありません。家で観ようとすると、どうしても途中で寝てしまうんです。私、映画で唯一、ウエスタンが苦手なんです。(笑)なので、音楽とイーストウッドは忘れないんだけど、映画の内容は解らないんです。ごめんなさい。昔の映画ですよね。
私が、このモリコーネさんを認識したのは「ニュー・シネマ・パラダイス」です。その前までは、映画音楽の方なんて、見ていませんでしたから。ニュー・シネマ・パラダイスを観た時、なんて素敵な映画なんだろうと思い、この映画は音楽と共にあると思って、モリコーネさんを知りました。でも、このニュー・シネマ・パラダイスも、実は、映画館で観たことがありません。午前10時の映画館とかでやっているらしいので、観に行けばよいんですけどね。
アカデミー賞作曲賞は、「ヘイトフル・エイト」で取ったんですね。もっと前に取っていたと思っていましたが、驚きました。ニュー・シネマ・パラダイスで、取れていそうなものですが、イタリア映画だったからダメだったのかしら。不思議ですね。私は、ヘイトフル・エイトよりも、ニュー・シネマ・パラダイスの音楽の方が、断然好きなので、とっても不思議でした。アンタッチャブルやマレーナも、凄く音楽は良いのに、不思議だなぁ。同じ年に、もっと凄い作品があったのかしら。
モリコーネさんは、2020年に、91歳でお亡くなりになったそうです。本当に、最近まで生きていらしたんですね。私、お恥ずかしながら、この映画でモリコーネさんの歴史を知るまで、こんなに沢山の映画の音楽をやっていた方だと知りませんでした。私が観ていた映画に、こんなにもモリコーネさんの音楽があっただなんて、ホント、恥ずかしいわ。どれも、言われてみれば、柔らかで流れるような美しい旋律の音楽だったなと思い出す作品ばかりでした。アンタッチャブルやワンス・アポン・ア・タイムの音楽も、激しい場面がありながらも、流れるような音楽だった事が思い出されました。あのギャップが良かったのかな。
映画を観た後に、直ぐに、ニュー・シネマ・パラダイスのサントラをAmazonで頼んでしまいました。聞きたくなっちゃったんです。最初、この「モリコーネ 映画が恋した音楽家」のサントラ盤は無いのかなと探したのですが、見つからなかったので、エンニオ・モリコーネさんの映画音楽版を頼もうとしたら、在庫切れだったので、とりあえず、ニュー・シネマ・パラダイスを買っちゃいました。うーん、聞きたくてたまらない!
この映画は、映画好きにはたまらない映画だと思いました。彼の歴史って、映画の歴史なんですもん。私は、自分がいかに浅い映画ファンかという事を、実感させられました。古い映画も観なくちゃなぁ。でも、眠くなっちゃうんだよなぁ。あ、私、”倍速視聴”は、全くしないので、時間がいくらあっても足りなくて、睡眠不足になっちゃうんです。だから、テンポがゆるくて、気持ちの良い音楽がかかってしまうと、眠くなっちゃうんですよぉ~!困ったもんだ。
私は、この映画、超!超!お薦めしたいと思います。素晴らしい映画なのですが、ドキュメンタリー映画なので、やっぱり、普通の映画よりは眠くなります。だって、インタビューが多いんですもん。でも、私は、何とか眠らずに観ることが出来ました。ぜひ、観に行ってみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
「モリコーネ 映画が恋した音楽家」