「デュアル」余命宣告を受け、家族の為に自分のクローンを残すことにしたら死ななくなっちゃった? | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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「デュアル」

 

を観ました。10月7日公開作品です。

 

Fan’s Voice独占最速オンライン試写会が当たり、観せていただきました。(@fansvoicejp)

 

ストーリーは、

ある日突然、自分が病で余命わずかだと知ったサラは、死期の迫った者が遺族を癒すために自身のクローンを作るプログラム「リプレイスメント(継承者)」の利用を決意する。残された時間をクローンへの引き継ぎに充てるサラは、恋人や母親と親しくなっていくクローンの姿に寂しさを覚える。そんな矢先、彼女の病が奇跡的に完治したことが判明。クローンとの共存は法律で禁止されているため、サラは自らのクローンとの決闘裁判に挑むことになる。

というお話です。

 

 

最近は、同棲中の恋人ピーターとはマンネリ気味。父は亡くなり、過保護な母は毎日連絡をして来る。色々な事に疲れ、身体の調子も悪いサラ。ある朝、変な夢を見て、目を覚ますと、ベッドが血だらけで自分が血を吐いていた。

病院へ行くと、沢山の検査をされ、直ぐには家に帰して貰えない。すると、密かに体を蝕んでいた病魔により、余命が残り僅かだと医者から宣告されてしまう。茫然自失となるサラに、医師から「リプレイスメント(継承者)」のカタログが手渡される。それは、間もなく死を迎える者が、遺族を癒すために自らのクローンを作り出すというプログラムだった。



 

サラは「リプレイスメント」を決断し、残された時間をクローンとの引継ぎに充てることにする。莫大な料金は、サラが死んだ後、ダブルであるクローンがサラと同じ生活をしながらローンで支払って行くというシステムらしい。

クローンへの引継ぎを始め、ピーターへと引き合わせ、親しくなる姿を寂しく思っていると、クローンは勝手に母親にも連絡を取って、交流を始めていた。母親にはショックを与えないようにと思い、ギリギリに引き合わせるつもりだったが、何故かクローンは勝手に行動を始めてしまう。



 

自分は死ぬのだから仕方がないと諦めかけていると、サラの病が奇跡的に完治したという報せが入る。自分が生きることになると、クローンは必要無いので廃棄処分して欲しいと申し出ると、クローンが廃棄を拒み、決闘をして勝った方がサラの人生を生きるという事になってしまう。そして・・・。後は、映画を観てくださいね。

 

ちょっと予想とは違う展開で、アクション映画かと思っていたら、SF+サスペンス映画でした。主人公のサラは、映画が始まると、既に不機嫌満載なんです。同棲している彼は帰ってこないし、母親は頻繁に電話をかけてきてウザいし、日常への不満で一杯という感じなんです。そんなサラが、余命宣告を受けて、さてどうしたもんかってことで、クローンを作るというところから始まります。

 

 

SFストーリーで、危険区域での仕事に出る人物は、もしもの為にクローンを作っておくという選択肢が与えられるという話はよくありまして、もし、死んだ場合に、そのクローンを起こして、その人物の代わりにするという事は多いのですが、今回、余命宣告時点でクローンを作って、自分でクローンにそれまでの記憶を教え込むというのが、斬新だなと思いました。データで記憶させるならまだしも、日常を一緒に過して教えるって、無理だよなぁ~。(笑)

 

で、教え込んでいる内に、段々と自分に取って代わられてしまうのを見ていなければならないという残酷な場面があって、もう余命幾ばくも無いのに、本人に死ねと言っているようで、可哀想でした。これは、システムが悪いですよね。だって、1時間で自分のクローンが作れる時代に、なんで記憶をデータ化して埋め込めないの?それまでの記憶をデータ化して、本人が無くなったら、クローンの脳にデータを書き込んで起こせば良いだけでしょ。もうすぐに死ぬ人間に、残酷な事をするなぁと思いました。


 

そして、ここからが急展開、もうすぐ死ぬんだからと思っていたサラに、いきなり「病気が完治しました。」って、どーいう事!(笑) あり得ないですよね。死なずに済むと思って喜んで良いことなのですが、じゃ、クローンはどうするんだってことになるでしょ。ここで問題なのが、クローンにも人権があるってことなのよね。弁護士に頼んで、廃棄を拒否すれば、オリジナルと決闘をすることが許されて、生き残った方が、その本人の人生を続けて行けるという、凄い法律ですよ。あり得ないっしょ。

 

そして、お互いに決闘の準備を始めるんです。オリジナルのサラは、決闘の訓練をしてくれるというトレントを頼み、色々な武器や、殺しのテクニックを学んでいきます。笑える場面もあり、楽しかったですよ。ここでの学びにより、躊躇せずにクローンの自分を殺せるようになっていったのだと思います。まぁ、実際には、そう簡単には行かないけどね。

 

 

それにしても、クローンとオリジナルが被って生存するって、あってはいけない事だと思うし、このクローンを認可した時点で、そうならないように法律を整備していなきゃおかしいですよね。だって、必ず人生を奪い合うことになるでしょ。どう考えても、最初から双子でしたって感じで生きていくのは無理だよね。だから、他のSFでは、必ずオリジナルが死んでから、クローンが命を貰えるって事になるんだけどな。これ、だって、決闘して、相討ちになった場合は、二人とも死んでしまうって事でしょ。あり得ないんだけどな。

 

サラがクローンを作ったら、エラーで目の色が青になったというのを聞いて、これ、もしかしたら本当にクローンを作っているんじゃなくて、犯罪者とか追われている人を整形して、クローンと偽っているんじゃないかと疑ったのですが、それはありませんでした。素直にクローンでした。でもね、DNAを採取して、1時間で出来るって、あり得ないでしょ。どうやって培養したの?特級で培養すると、細胞が耐えられないんじゃないの?その辺りが、とても適当だなと感じました。

 

 

でも、この映画、実は、そんなシステムとか、SF的にどうだとか、それはどーでも良いんですよ。もっと哲学的な事を訴えているんです。サラは、毎日が退屈で不満を抱えていたでしょ。そんな人生を、今度は自分で取り戻さなければならなくなるんです。その毎日って、取り戻すべき日々なのか、自分は周りに必要とされているのかってことなんです。自分のこれまでの人生を振り返り、何をしてきたんだろうと、自問自答したんじゃないかな。だって、不満だらけだったんだから、そんな人生なら、クローンにあげちゃったってイイじゃんって、私なんて思っちゃったけどね。

 

そんな哲学的な問題をはらんだ映画で、結構、観た後に考えさせられました。B級アクション映画かと思ったら大間違い。ゾンビも出ないし、殺人鬼も出てこない。自分が自分のクローンと戦うという、とんでもないSFサスペンスえ映画ですが、深いヒューマンドラマでもありました。


 

私は、この映画、お薦めしたいと思います。ちょっと設定が無茶過ぎるかなと思ったので、好き嫌いがあるかもしれませんが、楽しめる作品だと思います。カレン・ギランといえば「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のネビュラで有名ですよね。今回は、素顔で頑張っています。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

 

「デュアル」