「プリンセス・ダイアナ」没後25年。エリザベス女王のお葬式と同時期に公開というのは何か因縁かな。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
スミマセンが、ペタの受付を一時中断しています。ごめんなさい。

 

「プリンセス・ダイアナ」

 

の試写会に連れて行ってもらいました。

 

ドキュメンタリー映画でナレーションも無いので、公式HPにあった年表を書きますね。

 

 

1961年
7月1日、オールドソープ子爵(後に伯爵)の令嬢としてノーフォーク州サンドリンガムのパークハウスで生まれ、ダイアナ・フランセス・スペンサーと名付けられる。


1975年
父がスペンサー伯爵位を継承。ダイアナもLady(姫・令嬢)の儀礼称号を授かる。(Lady Diana Spencer)この頃からサンドリンガムにて、王室と隣人としての付き合いが始まる。
1977年
11月、アルソープでの週末の会に招待され、チャールズ皇太子と出会う。当時チャールズは姉・セーラと交際していた。


1979年
女王主催のパーティでチャールズ皇太子と再会。
しばらくはアメリカ人夫婦の子どもの世話(チャイルドキーパー)や、ピムリコのヤング・イングランド・スクールで幼稚園の先生をする。


1981年
2月24日、チャールズ皇太子との婚約が正式に発表される。7月29日、ロンドンのセントポール大聖堂にて挙式。式は全世界で7億5千万人もの人々が視聴したと言われる。バッキンガム宮殿から大聖堂までの道には、何十万人もの人々が列を作った。
10月、【公務】ウェールズ訪問。チャールズとの最初のツアー。
結婚後、Her Royal Highnessの称号を与えられる。夫妻は、グロスターシャー州テトベリー近郊のハイグローブハウスを本宅とし、ロンドンの住まいはケンジントン宮殿のアパートメントを使用した。

 


 

1982年
6月21日、第一子ウィリアム・アーサー・フィリップ・ルイ王子を出産。(ロンドン パディントン セント・メアリー病院) バッキンガム宮殿での出産が王室の伝統だったが、ダイアナは最新医療設備のある病院を希望した。この新たな伝統がキャサリン妃に受け継がれた。
9月、【公務】モナコ公妃グレースの国葬に女王の代理として参列。初の公式海外訪問。
1983年
【公務】幼いウィリアム王子を連れてオーストラリア、ニュージーランドを訪問。


1984年
9月15日、第二子ヘンリー・チャールズ・アルバート・デイビッド王子を出産。(ロンドン パディントン セント・メアリー病院)
2日後の17日に退院。のちにこの頃から夫婦間の気持ちの上での関係は終わっていたと語る。


1985年
【公務】イタリア訪問。ウィリアム王子、ヘンリー王子も同行した。
1986年
5月、チャールズ皇太子と共に初来日。日本でもダイアナ・フィーバーが起こる。


1987年
ケンジントン宮殿のチャールズの不在が常態化。ダイアナが事実上の女主人に。二人の王子の養育とともに、「英国エイズ救援信託基金」を財政支援するなど、慈善事業に熱を注ぐようになる。

1992年
【公務】韓国訪問。これがチャールズとの最後の共同訪問となった。
12月、チャールズ、ダイアナ両者が別居に合意したことが発表される。
ダイアナはケンジントン宮殿に住居と執務室を置き、チャールズはセント・ジェームズ宮殿を拠点に、引き続きハイグローブに住むことに。

 


 

1993年
12月、【公務】「有意義な公的役割とより多くの私的生活」を両立させるため、公的生活の範囲を縮小することを発表。


1994年
6月29日、Vanity Fair主催のチャリティディナーに出席するため、ロンドンのサーペンタイン・ギャラリーを訪問。同日、チャールズはカミラ夫人との関係を認めた。


1995年
9月、ウィリアム王子、イートン校に入学。
【公務】チャールズと別れることを公表した後もVE(ヨーロッパ戦勝)、VJ(日本戦勝)50周年記念式典など、国の主要行事にはロイヤルファミリーと共に出席。


1996年
8月28日、離婚成立。親権は両者平等に持った。
離婚後も王室の一員として扱われ、「Diana, Princess of Wales」と呼ばれることに。ケンジントン宮殿に住み続け、事務所もそこに置かれた。


1997年
6月、【公務】ロンドンとニューヨークのレセプションに出席。公式行事で着用した数多くのドレスやスーツを販売し、その収益をチャリティに寄付する内覧会を開催した。
7月1日【公務】テート・ギャラリーの100周年記念式典に出席。
英国での最後の公式行事は、7月21日のロンドンのノースウィック・パーク病院(小児救急医療施設)の訪問。
8月31日午前0時35~40分頃、パリで交通事故にあう。病院に搬送されるが、午前4時に死亡が確認された。
同乗していた恋人ドディ・アルファイドと運転手も死亡した。
9月6日、ウェストミンスター寺院で葬儀。
葬儀後、棺は陸路でオルソープにある一族の屋敷に運ばれ、湖の真ん中に浮かぶ島の神聖な場所に埋葬された。

ここまでが年表です。

 

 

すみません。ちょっと長いのですが、この年表にある順番で映像を連ねています。ほとんど解説が無いので、ある程度の年表を確認してから、観た方が、より彼女の心情が解ると思いました。

 

ダイアナ妃は、本当にお美しいのに、チャールズとカミラの関係を知ってからの表情が、とても暗くなっていきます。それが、こうやって続けて映像で追って行くと、彼女がどれ程苦しんでいたのかが解るんです。本当に可哀想でした。

 

大体、妻がいるのに、同時に、他の女性と関係をずっと続けているなんて、狂ってますよね。まして、相手の女も結婚しているんですよ。それも、自分の友人の妻なのに、よく平気だなと思いました。きっと、チャールズの傍にいるために、彼の友人と形だけの結婚をして、カムフラージュしていたのでしょうが、さすがに酷いですよね。ダイアナ妃は、よく我慢していたと思います。誰がどう考えても、チャールズが悪いし、付き合っていたカミラも、酷い女ですよ。そして、今、そのカミラが王妃だなんて、全体未聞だと思いました。

 

 

ウィリアムとヘンリーだって、母親を苦しめた女を義理でも母親だなんて思いたくないですよね。私なら、会話さえ嫌だけどな。同じテーブルに座る事さえ拒みたいと思います。だって、カミラさえいなければ、普通の家族でいられたんですから。

 

この映画を観ていると、所々にカミラ夫人が映っているんですよ。平然とダイアナの前に現れているのが、あまりにも図々しくて、信じられませんでした。中世のヨーロッパじゃないんだから、妾が偉そうな顔をするなんて許されないでしょ。犯罪ですよ。もー、観ているだけでもはらわたが煮えくり返りそうでした。

 

別に、愛人がいても平然としていられる人なら良かったんだろうけど、ダイアナ妃はナイーブで、愛のある結婚だと思っていたから、こんな事になってしまい、可哀想で観ていられないほどでした。だって、結婚した時は19歳ですよ。まだ、何の経験もないお姫様が、王様に嫁いだという形だったのに、それが、王宮のドロドロに巻き込まれて苦しむんです。話を聞くと、英国王室の人気が下降気味だったからなのか、人気回復を考えて、若く美しく無垢な貴族の女性を探していて、ダイアナ妃が選ばれたようです。チャールズも、王室の為と思い、貴族ではないカミラを諦めて結婚したハズなんですけどね。

 

 

ただ、あまりにもダイアナ妃の人気が高まり過ぎて、それをチャールズが良く思わなかったということはあったようです。マスコミも、ダイアナ妃を撮るために、チャールズを邪魔扱いしたりがあったようです。その様子も、映画の中に映っていました。

 

離婚には、色々な要因があったのだろうとは思いますが、やっぱり、どう考えても、チャールズがカミラと、結婚する前から関係を続けていて、それを辞めなかったという事が一番の原因でしょう。それは、誰が考えても、そう思うと思います。どんな世界に生きていようと、不貞は許されない行為ですから。

 

そんなダイアナ妃の半生が、この映画の中に収められています。本当に美しいのに、こんなに悲しげな表情なのが可愛そうだなと思いました。離婚して、これからって時に、マスコミに追われて、事故で亡くなるなんて、酷い話です。ダイアナ妃を殺したのは誰かと言ったら、私は、やっぱり第一にマスコミだと思いました。第二にチャールズかな。

 

 

私は、この映画、お薦めしたいと思います。ドキュメンタリー映画ですし、解説も一切ありません。当時のままの映像を年代ごとに繋ぎ合わせて、ダイアナ妃が辿った半生を伝えてくれます。とても考えさせられる映画です。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

 

「プリンセス・ダイアナ」