「アンネ・フランクと旅する日記」アンネの心の友キティが現代と過去を旅する物語です。感動作でした。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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「アンネ・フランクと旅する日記」をFan’s Voice独占最速オンライン試写会にて観せていただきました。(@fansvoicejp)

 

ストーリーは、

現代のオランダ、アムステルダム。激しい嵐の夜、博物館に保管されているオリジナル版「アンネの日記」の文字がクルクルと動き出し、キティーが姿を現す。時空を飛び越えたことに気づかないキティーだったが、日記を開くと過去へとさかのぼり、親友アンネと再会を果たす。しかし日記から手を離すと、そこには現代の風景が広がっていた。キティーは目の前から消えてしまったアンネを探し、アムステルダムの街を駆け巡る。

というお話です。

 

 

現代のオランダ・アムステルダム。激しい嵐の夜、博物館に保管されているオリジナル版「アンネの日記」に異変が起きた。本が収められているガラスケースが割れたかと思うと、突然、文字がクルクルと動き始めて、キティーが姿を表したのだ。

時空を飛び越えたことに気づかないキティーは、いつも傍にいたアンネがおらず、自分の姿が周りにいる人間に見えていない事に気が付く。日記がアンネの部屋に置かれることとなり、キティも部屋で過ごしていると、知らない人々がズカズカと入り込み、家の中を見て回っている。人の家なのにと失礼だわとキティは感じているが、自分の姿は人々に見えていないようだ。



 

キティは一人になり、日記を開くと過去へさかのぼってアンネと再会を果たすことが出来たのだが、また、日記から手を離すとそこには現代の風景が広がっている。目の前から消えてしまったアンネを探して、キティーは日記を抱えて、街を疾走する。

アンネの隠れ家を離れると、キティは人々に見えるようになり、そこで、アンネの初恋の人ペーターと同じ名前の男の子と出会う。ペーターに助けられながら、現代の中に生きるアンネの事を知り、時代が変わっても差別が無くなっていないことを知るのだった。そして・・・。後は、映画を観てくださいね。

 

 

アンネの日記を現代に蘇らせるべく、キティが日記の中から出てきて、世の中を見て回るというお話でした。舞台はオランダのアムステルダム。「アンネ・フランクの家」博物館に所蔵されている”アンネの日記”から、ある日、キティが飛び出してきます。

 

この「アンネ・フランクの家」博物館、私もオランダ・アムステルダムに行った時、見学しました。細い入口を入ると、細くて狭い階段があって、そこを上るとアンネの隠れ家があります。こんな狭い所に2年間も隠れていたのかと思うと、本当に驚くような場所でした。構造自体は何か解りませんでしたが、木造の階段に、白い壁で、何とも言えない暗い気持ちになった事を覚えています。とても寒くて、外を覗けばドイツ兵士がいたんだろうと思うと、辛かっただろうなと思いました。だからこそ、日記には、明るくキティに話しかける感じで書かれたのでしょう。

 

 

そんな博物館で目覚めたキティは、外に出て、現代を見て回る内に、それがアンネがいた時代とは違う事を認識しますが、ナチスドイツはいなくなっても、差別されて逮捕される人々がいることを知ります。街の中には、アンネ・フランクという名前が沢山使われていて、誰もが彼女を知っていながら、彼女が経験した出来事を語る人はおらず、アンネが受けた差別を、また他の人に行っているという事に気が付いていないんです。

 

そんな恐ろしい世界を目の当たりにして、彼女は、ある行動に出ます。まるで、アンネが現代に蘇ったら、きっとそう言うに違いないというような事を訴えるんです。この映画は、アンネの悲劇を辿りながら、現代でも差別が無くなっていないことを訴えていて、よく出来ていました。

 

 

彼女が訴えている事は、とても正論なんですけど、それぞれの仕組みの中で、ままならないことも沢山あるんですよね。きっと、何処の国も難民を受容れてあげたいと思いながらも、それを利用して悪い事を考える人もいるし、判断が難しいのだと思います。誰もが良い人ばかりなら、何の問題も無いのですが、一方が善だと思うことが、他方では悪になる事もあるんです。

 

この映画のキーワードで「これほど人間の邪悪な面を見てきても、今なお心の底で私は信じてる。人間の本質は”善”なのだと。」という言葉があるのですが、人間の本質は”善”なのだと私は思います。但し、どの方向を向いているかで違ってくるんです。ナチスドイツだって、彼らにしてみれば、悪魔であるユダヤ人を根絶やしにすることが”善”だと教えられ、正しいことをするためにホロコーストを行った。間違っているけど、善なんです。誰かが、いつも上の方から見ていて、それは違っているよと言ってくれる世界なら良いんですけどね。神様は助言はしてくれません。

 

 

キティは、アンネが隠れ家を出た後に辿った道のりを、ペーターに助けられながら、辿って行きます。日記は、隠れ家に残されたまま、アンネは捕まってしまったので、キティは彼女のその後を知らないんです。アンネの足跡をたどりながら、キティは辛そうでした。誰が知っても、辛い出来事です。あんな事は二度と起こしてはいけないんです。再度、認識しました。

 

アンネの日記の内容を、キティを追う事で再確認し、どんなに辛い中でも、人生を楽しんでいたアンネという少女を忘れてはいけないと思いました。差別の無い世界を望み、全ての人が尊重されるようにと願ったアンネの気持ちを、大切にしないといけませんね。小学校の時に読まされた「アンネの日記」ですが、大人になってからきちんと読んでいないことを思い出し、また読んでみようかなと思いました。子供の頃には解らなかったことが、何か見つかるかもしれません。

 

 

「戦場でワルツを」の監督が、脚本・監督をしています。アニメーションも雰囲気がとても良いです。ナチスドイツの描き方が、まるで死神のように描かれていて、アンネの目には、こう映っていたのだろうなと思いました。アンネの時代の衣服は古いものを、現代のパートに移ると、現代ファッションをキティに着せて、色もカラフルになり、その変化が楽しめました。寒くて暗いアムステルダムの雰囲気も、良く表していたと思います。

 

一つ、気になったことは、全編英語だったことです。アンネの日記はオランダ語で書かれていましたが、きっと話していたのはドイツ語ではないかと思われます。でも、キティが目覚めたのはオランダで、オランダ語じゃないと、ペーターたちと会話が通じないと思うので、オランダ語で作って欲しかったかな。英語だと、とてもスムーズに聞こえてしまって、あのヨーロッパの独特な暗さと重さが削がれるような気がしました。

 

 

私は、この映画、超!超!お薦めしたいと思います。とても良い作品でした。今、アンネの日記を蘇らせるのは、とても意味がある事だと感じました。コロナ禍で、誰もが家に籠って、明日をも知れぬ気持ちになっていると思いますが、アンネのように、どんなに辛い人生でも楽しむことを忘れないという生き方を、私たちも見習うべきなのかなと思いました。この映画は、大人も子供も、誰もが楽しめるし、考えさせられる映画です。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

 

「アンネ・フランクと旅する日記」