「誰かの花」日常の中で突然に起こる事件。疑念を晴らすべきか晴らさないべきか、それが問題だ。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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「誰かの花」の試写会に行ってきました。横浜のミニシアター「ジャック&ベティ」の会員限定でした。この作品、ジャック&ベティの30周年企画映画でして、考え深い思いで行ってまいりました。だって、近所の映画館がもう30周年なんて、あっという間だったなぁ~。とりあえず、映画の紹介をしましょう。

 

ストーリーは、

鉄工所で働く孝秋は、認知症により徘徊する父・忠義と、そんな父に振り回される母・マチのことが気がかりで、実家の団地を訪れる。しかし忠義は数年前に事故死した孝秋の兄との区別がつかない様子で、孝秋を見てもぼんやりとうなずくばかり。ある日、強風の中で団地のベランダから落下した植木鉢が住民に直撃し、騒ぎが起こる。父の安否を心配する孝秋だったが、忠義は何事もなかったかのように自宅にいたが、ベランダの窓が開いており、手袋に土が付着しているのを見つけた孝秋は、父への疑いを募らせていく。

というお話です。

 

 

鉄工所で働く野村孝秋は、薄れゆく記憶の中で徘徊する父・忠義とそんな父に振り回される母・マチのことが気がかりで、実家の団地を訪れる。しかし忠義は、数年前に死んだ孝秋の兄と区別がつかないのか、彼を見てもただぼんやりと頷くだけであった。

実家の斜め上に、楠本一家が新しく越してくる。母のマチは親しそうに挨拶をするが、楠本家の下の家の岡部は、不愛想に挨拶をしただけだった。その日からマチと孝秋は楠本家と交流するようになっていく。

認知症の父の為に、マチはヘルパーを頼んでいた。週に何度か長谷川というヘルパーがやって来ており、孝秋は優しく父の面倒を見てくれる長谷川を気に入っていた。



 

強風吹き荒れるある日、事故が起こる。団地のベランダから落ちた植木鉢が住民に直撃し、救急車やパトカーが駆けつける騒動となったのだ。父の安否を心配して慌てた孝秋であったが、忠義は何事もなかったかのように自宅にいた。

だがベランダの窓は開き、忠義の手袋には土が…。植木鉢は野村家の隣の岡部家から落ちたもの。まさか・・・と父への疑いを募らせていく孝秋。「誰かの花」をめぐり繰り広げられる偽りと真実の数々。それらが亡き兄の記憶と交差した時、孝秋が見つけたひとつの〈答え〉とは。 後は、映画を観てくださいね。

 

 

この映画、凄く良かったです。観る前から気になっていたのですが、考えさせられる映画でした。主人公の孝秋は、兄を交通事故で亡くし、何か満たされない状態で過ごしています。父は認知症を患い、母は介護で苦労をしています。今までは、兄の事があり、何となく実家に帰りづらかったようですが、父の事もあるので、出来るだけ様子を見に行くようにしたようでした。

 

ヘルパーの長谷川さんも綺麗で、何となくイイななんて思いながら、実家に帰り、ご近所の家族とも仲良くなるのですが、そんな時に、事件が起こるんです。強風の日に、ベランダから鉢植えが落ちて、人にぶつかってしまうという事故です。時々、マンションのベランダの鉢植えを沢山置いている人がいますが、恐いなぁって思っています。手摺より下に置いているならまだしも、手摺に引っ掛けているお家があるでしょ。あれ、台風とかだと恐いですよね。

 

 

孝秋が、もしかして父親が事故に遭ったのかもと思い、急いで部屋に駆けつけると、父親は家に居たのですが、ベランダの窓が開いていて、手袋が泥だらけなんです。それで、もしかして隣の家の植木鉢を落としたのが父親なんじゃないかと疑い始めるんです。父親に聞いても、曖昧な答えしか返ってこず、埒が明かないのですが、孝秋の不安は、どんどん大きくなっていきます。

 

植木鉢をベランダの高い位置に置いておいたのが、そもそも悪いのですが、それをもし父親が触っていて落としたなら、大変な事です。ヘルパーの長谷川さんも気が付いて、孝秋を責めるのですが、孝秋が出した決断とは。どうするのかは、映画で確認して欲しいのですが、こういう事件って、良くありますよね。何かちょっとしたモノにつまづいて亡くなったりしたら、それを作った人が悪いのか、つまづいた人が悪いのか。

 

 

それを突き詰めて行ったら、何処までも行ってしまう事になるし、苦しむ人が、ただ増えていくだけだと思うんです。だって、まず被害者の方だって、憎む相手が増えるだけだと思いませんか?人間って、人を憎むと凄く疲れると思うんです。出来れば、憎むなんてことは無い方が良い。心がすさんでいきますから。

 

そして加害者の方ですが、たとえ、それが周りに解らなくても、自分の心には残ってしまうので、ずーっと罪悪感を持ったままになると思うんです。言ってしまった方が楽だと思うけど、それって、自己満足だけですよね。苦しむ人を増やすだけで、何にもならない。そりゃ、正義感で言うのは解るけど、正義と”人道の正しい事”は違うんです。誰もが苦しむより、誰かが苦しんで懺悔して行けばよいと思いました。

 

 

優しい嘘ってあるでしょ。ちょっとこの映画の事件とは違うかもしれないけど、嘘をつくことによって、救われる人もいるんです。知らない方が良い事ってあるんですよ。私は、自己満足よりも、人を救う嘘をつくことの方が尊いと思いました。嘘をつけば、自分が辛くなるだろうけど、自分が苦しめば良いだけでしょ。人を苦しませない方が良いじゃないですか。人間って、そんなに簡単に白黒は付けられないんです。そんな事を思った映画でした。

 

人を許すって、そう簡単には出来るもんじゃないと思います。それには、凄い苦しみを伴うと思うし、自分の中で、色々な考えがぐるぐると回り、やっぱり許せないに戻ることもある。でもね、いつまで憎んでいても何も変わらないし、前に進まなきゃいけないですよね。そう思うと、周りが惑わすようなことをすべきじゃないし、苦しみを増やすようなことをすべきじゃないと思いました。

 

 

孝秋は疑っていたけど、父親がやったという確証は無いんです。それに、隣の家からベランダ越しに手が届いたのかというと、どーも怪しいと思いました。5階のベランダで、身体を乗り出して隣の物に触るというのは、やってみれば解りますが、結構、難しい。よぼよぼしていたら、自分が落ちていると思うんです。建築的に考えても、バルコニーの隔て板は力を入れると破れるように作ってあるけど、乗り越えられないように設置してあるので、もし、隣から手を出したとするなら、そうとう手摺ギリギリの位置に置いてなければ届かないんです。という事は、手を出さなくても落ちただろうと予想されるんです。でないと、建築屋は困っちゃう。簡単に隣の家の物に手を出せたりしたら、設計がおかしいだろうと訴えられちゃいますからね。(笑)

 

ま、建築の事はさておき、この映画、凄く考えさせられました。とっても良い映画だったと思います。主演のカトウシンスケさん、よく映画やドラマに出演されていて、とても強い印象があるのに、主演映画は観たことが無くて、今回、嬉しかったです。表情とかで気持ちが伝わってきて、うんうん、やっぱり上手い役者さんだなって思いました。高橋さんと吉行さんは大御所ですし、心に沁みてくるような内容が、良く描かれていました。

 

 

私は、この映画、超!超!お薦めしたいと思います。来年1月29日から公開です。とても考えさせられる映画で、もしかしたら、身近で同じような事が起きるかもしれない。そんな時はどうしようと考えてしまうような映画でした。この映画の中には、悪い人は出てきません。誰もが良い人で、普通に生活をしているんです。そんな中に、突然起きる出来事で、人生が変わっていく。恐いけど、考える映画でした。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

 

「誰かの花」