「草の響き」を観てきました。
ストーリーは、
心のバランスを崩し、妻と一緒に故郷・函館へ戻ってきた工藤和雄。精神科の医師に勧められ、治療のために街を走り始めた彼は、雨の日も真夏の日もひたすら同じ道を走り続ける。その繰り返しの中で、和雄は徐々に心の平穏を取り戻していく。やがて彼は、路上で知り合った若者たちと不思議な交流を持つようになるが・・・。
というお話です。
工藤和雄は、昔からの友人で今は高校の英語教師として働く佐久間研二に連れられ、病院の精神科へやってくる。和雄は東京で出版社に勤めていたが、徐々に精神のバランスを崩し、妻の工藤純子と共に故郷の函館に帰ってきたばかりだった。精神科で医師の宇野と面談した和雄は、自律神経失調症だと診断され、運動療法として毎日ランニングをするように指示される。
札幌から函館へ引っ越してきた小泉彰は、スケボーで街を走っていく。転校したばかりで、学校ではどこか孤立気味の彰は、同じバスケ部に所属する同級生から、夏になったら海水浴場の近くにある巨大な岩から海へダイビングしてみないかと誘われる。誘いを了承したものの実はカナヅチの彰は、市民プールへ練習しにでかけ、そこで見事な泳ぎをする高田弘斗と出会う。弘斗は以前中学でいじめに遭い、不登校になった経験があるという。弘斗は、泳ぎを教える代わりに自分にスケボーを教えてほしいと頼む。弘斗の姉、恵美も加わり、3人は人工島「緑の島」の広場で遊ぶようになる。
医師の指示通り、和雄は仕事をしばらく休み、毎日同じ場所を走り始める。少しずつ距離を伸ばしていく和雄だが、走る以外は何もできず、家事をすることも、純子を気遣うこともできない。函館山のロープウェイで案内スタッフとして働く純子は、黙々と走る夫と、愛犬ニコとともにどうにか生活を続けていた。東京出身の純子には、夫とその両親以外、函館には頼れる人が誰もいない。
広場で花火をする彰たち。その周囲を走る和雄に気づき、彰と弘斗は追いかけるように走り出す。すぐに脱落してしまう弘斗をよそに、彰は必死で和雄と並んで走り続ける。この日を境に、3人は時々一緒に走るようになる。(公式HPより) 後は、映画を観てくださいね。
この映画、和雄の話と、彰の話が交互に描かれていくのですが、和雄と彰の雰囲気が似ているので、ずーっと和雄の過去が彰なのかと思って、でも名前が違うしなぁ~って思っていて、何だかよく解らないまま、2/3ほど進んだ部分で、やっと二人が同じ世界に生きているのだという場面が出てきて、違う人物だったんだと理解したんです。それまで、映画を観ていても、どう観て良いのやら、バラバラしているし、うーん、悩みました。
でも、人間の関係の中で、ちょっとした事が人の心を傷つけて、それを受け流せない人々は、傷が溜まっていってしまい、心が壊れてしまうのだろうという事は、良く描かれていたと思います。観ていて、この人は、これ位の事で傷ついて行くんだなという事が、読み取れましたもん。弱い心を持ってしまうと、どうしてもこうなってしまうのでしょうね。
和雄は、きっと少年の頃は彰のような感じだったのだと思います。真面目で頭の良い子だけど、人と交わらず、何となく空洞のような毎日を送っていたんじゃないかな。親は、勉強も出来るし、言う事を聞くので良い子だと思っていたんだろうけど、精神的には病んでいたんです。その頃に、ケアをしておけば良かったんだろうけど、社会に出て、本当に病んでしまったんでしょうね。
自律神経失調症と診断された和雄は、走る事で何とか精神を保っていますが、一般的な夫婦の生活などは難しいのではと思いました。本当に自分の事しか考えていないんです。妻の純子のいう事を聞いてはいるのですが、聞いても筒抜けで、頭に入っていないようでした。妊娠した時も嬉しそうではなく、純子が嬉しくないの?と強く聞くと、嬉しいよと笑って頷くのですが、そのすぐあとに、彼女の横でタバコを吸うんです。もう考えられないでしょ。この男はダメだと思いました。
和雄はあまりにも自分本位で周りの事を考えないのですが、それなのに周りの目を気にして、無理に笑ったり、取り繕ったりするんです。そして純子に、俺って自分の事しか考えてなくて酷い人間だと嘆くのですが、こういう人って、”あなたは悪く無いよ。”と言って欲しいんでしょうね。私は、絶対に言ってやりたくないけど。病気だからしょうがないとは思いますが、やっぱり納得が出来ません。いつもいつも、自分だけ逃げて、楽な所に居ようとする人間って、やっぱり私は相容れる事は出来ません。
きっと純子は、最後まで一緒に居ようと思っていたのだろうと思います。でも、お腹の子供が成長していき、和雄は、父親になるというプレッシャーがどんどん重くなっていく。子供が生まれるのは嬉しいという気持ちを持とうと思っていても、どうしても恐怖など、精神的な圧迫をうけたのでしょうね。和雄は、どんどん具合が悪くなって言っているようでした。
特に、和雄役を東出さんが演じていて、”自分本位で”というセリフで、うんうん、あんたはそうだよねと思い、”酷い人間だ”で、うんうん、確かにあんたは酷い人間だよって思っちゃいました。そして、この映画を観て、帰ってきたら、20代の女性と付き合っているというニュースが出ており、マジでクズだわと思っちゃった。マジなクズが、こういう役を演じるから、リアルに思えたのかなぁなんて思いました。(笑)
話を映画に戻して、和雄と彰が出会うのですが、それが一体なんだったのか、確かに、彰が若い頃の和雄を表現しているのだろうとは思ったけど、だから何?という感じに見えてしまい、イマイチ、解りませんでした。いつもいつも、逃げたくなってしまう、そういう人間を止めることは出来ません。若くても、年を取っても、仕方ないんです。和雄は、自分を哀れむことで生きることが出来ていて、自分のことしか頭に無いんですよ。病気だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだけど、それに振り回される周りの人間の方が、辛くて苦しいという事を、解ってあげないとね。
東出さんが演じていたので、あまりにも自分本位のクズに見えちゃったけど、本当はこんな事言いません。それぞれに病気が大変な事も解っていますし、そこに至るまでの経過がある訳ですからね。でも、この映画の和雄はなぁ~。クズにしか見えないんだもん。東出さんだったからかしら。うーん、ごめんなさい。映画の内容と俳優の私生活を一緒に考えてしまうことなんて、今までは無かったのですが、何故か、あまりにも現実世界の状況とピッタリしてしまい、つい、酷い男だなって怒ってしまいました。ごめんなさい。
私は、この映画、お薦めしたいと思います。映画の作り方がちょっと解り難いというか、もう少し和雄と彰の関係を早い内に教えてくれないと、何が重要なのか、誰がメインなのか、ちょっと微妙だったかな。ま、悪い映画ではないので、ぜひ、観に行ってみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。![]()
「草の響き」







