「ファーザー」認知症が体感出来る映画は恐ろしかったです。まるでSF世界に入ったようでした。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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「ファーザー」を観てきました。

 

ストーリーは、

ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニーは認知症により記憶が薄れ、娘のアンが手配した介護人を拒否してしまう。アンから、新しい恋人とパリで暮らすと告げられ、助けが必要だと言われる。しかしその後、アンソニーの自宅に、アンと結婚して10年以上になるという見知らぬ男が現れ、アンソニーが彼の自宅に来たと主張。アンソニーはもう1人の娘ルーシーがいたはずだが、その姿はない。現実と幻想の境界が曖昧になっていく中、アンソニーはある真実にたどり着く。

というお話です。

 

 

ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニー。娘のアンが頼んだ介護人が通ってくるのだが、アンソニーは拒否して嫌がらせをするので、既に3人目の介護人も辞めてしまった。アンが怒り、アンソニーを訪ねるが、アンソニーは飄々とした態度で自分の事は自分で出来ると言い張る。

 

そんな中、アンが新しい出会いがあってパートナーとパリで暮らすと告げられてしまう。面倒だと思いながらも、甘えていた娘が居なくなるという不安を抱き、ショックを受ける。しかし、ふと気が付くと、自分の家のリビングに見知らぬ男が座っている。誰だと訪ねるとアンの夫で、結婚して10年以上になるという。確か、アンは離婚して、新しいパートナーとパリへ行くと言っていたが。

 

 

不安に思っていると、アンが買物から帰ってくるが、玄関から入ってきたのは、アンとは違う顔の女性だった。私の事を父と呼ぶが、これは誰なのか。彼女がアンで、一緒にいる男が夫なのか?疑問は膨らむばかり。私のアパートから出て行けというと、ここはアンと自分の家で、あなたを引き取って、一緒に暮らしているんだという。言っている事がよく解らない。どうなっているのか。

 

アンに、もう一人の娘・ルーシーはどこに消えたのかと聞くが、アンは何も答えない。悲しい顔をするばかりだ。ふと気が付くと、ルーシーが描いたという絵が、リビングから無くなっている。あの絵はどこへ行ったのか。

 

現実と幻想の境界が崩れていく中、最後にアンソニーがたどり着いた〈真実〉とは?後は、映画を観てくださいね。

 

 

この映画、凄く不思議な体験をする映画でした。始まってすぐは、老人のアンソニーが一人住まいをしていて、娘・アンが心配してヘルパーさんを付けているけれど、アンソニーが次々と辞めさせてしまうというお話から始まります。あー、こういう偏屈ジジイっているから、娘は大変だなぁ~と、今までの映画と同じように観ているんです。大体の今までの映画だと、新しいヘルパーさんと上手く行って、しあわせになるとかが多いでしょ。でも、今回ばかりは違うんです。

 

ヘルパーさんをまた頼んで面接に来てもらうと、アンソニーも出てきて、とっても気分よく受け答えをするのですが、突然に豹変して、アンとヘルパーの女性を凍り付かせます。その辺りから、映画に変化が現れます。アンソニーの目線で描いているので、画面に映る映像が変わってくるんです。辻褄が合わなくなってくる。

 

 

アンの顔が変わったり、さっきは新しいパートナーとパリへ行くと言っていたのに、10年以上一緒の夫と暮らしている言ったり、夫という男の顔も、場面によって変わってくるんです。良く見ていると、部屋の内装も変わっていきます。間取りは同じように作ってあるのですが、内装が違い、趣味も違うんです。アンソニーは、普通に自分のアパートだと思って暮らしているのですが、リビングやベッドに座る度に、違うものになっていきます。良く観ると、ドアは変わっていないのに、豪華な家具から質素な家具に変わるんです。アンソニーが観ている風景なんですよ。

 

なので、観ている自分がおかしいのか?何か私が観落したのか?ストーリーがおかしいのか?と不安になっていくんです。でも、映画は進んで行くので、そのまま見続けていると、段々と、自分がおかしいのではなく、映画をワザとそのように作っていて、それはアンソニーの視点なんだという事が理解出来てくるんです。それが解ると、今度は、認知症になると、こんな状態になるのかと思って、怖くなるんです。

 

 

だって、まるでSFの世界にいるような感じなんですよ。時間も空間もねじ曲がっていて、昔の事が昨日のことのようになってしまう。そして、顔の判別も、過去の記憶も、何が本当だったのか、理解が出来ないんです。アンソニー自身は、自分は間違っていないと思っているし、ちゃんと頭の中にある事を繋げて、理解をしようとするんです。でもね、目の前の現実が、頭の中の記憶と全く繋がらなくなっていってしまうんです。それは、怖かったですね。こんな風に変わっていくのかを理解してしまったら、認知症の人を怒れません。だって、自分はしっかりしていると思っているのですから。

 

 

これを観た後、やっぱり高齢者には、絶対に車の運転は止めて欲しいと思いました。この感覚で運転をされてしまったら、信号赤でも平気で走るだろうし、アクセルとブレーキを踏み間違えるなんて当たり前だろうって思ってしまう。自分では間違って踏んでいるとは思わないけど、基本の感覚がズレているから、ペダルを踏めば車は停まると思っちゃっていたりするんだと思うんです。
 

これは、アンソニー・ホプキンスがアカデミー賞を貰うのは当たり前だと思いました。これが演じられるという事は、彼は認知症ではなく、しっかりしているという事なんですね。うーん、これからも頑張っていただきたいです。彼の映画、もっと観たいです。

 

 

この映画は、幅広い方々に観て欲しいと思いました。認知症だけじゃなく、色々な病気で脳の機能がおかしくなって、一般的な感覚から言えば変な事をいう人っているじゃないですか。でも、もしかしたら、彼らにはそれが現実であり、本当に、そう見えてしまっているのではないかと思うと、そういう人間に対峙した時、ただ頭が悪いとか狂っているというのではなく、今一度、どうしてそういう事を言っているのかを考えるべきだと思ったんです。人間の身体は、まだまだ未知の部分が沢山あるので、脳の機能も研究していただいて、認知症も治るように出来ると良いですね。

 

 

私は、この映画、超!超!超!お薦めしたいと思います。素晴らしくて、恐ろしい映画だと思いました。でも、この狂った感覚をアンソニーと一緒に体感出来ないと、この映画の本当の凄さが解らないかもしれません。最初、観ていると、まるでジェットコースターに乗った後に、少し酔っているのかなという感覚になるんです。描かれている事が理解出来ないようになるのですが、それは理解が出来なくて良いんです。それが認知症なのですから。それを解かってから観ていただければ、あー、そうかって、アンソニーの恐怖が解ると思います。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

 

「ファーザー」