「シン・エヴァンゲリオン劇場版」今回はネタバレしています。そうしないと感想書けないよっ! | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
スミマセンが、ペタの受付を一時中断しています。ごめんなさい。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観てきました。

 

ストーリーは、

 

荒廃したフランス・パリ市街地。ヴィレのヴンダーから作業員が降下。街に眠る「ユーロネルフ第一号封印柱」によるアンチLシステムの起動を試しています。そこへネルフが差し向けたエヴァの兵隊たちが現れ、阻止をしようと攻撃してきますが、マリの活躍により成功。旧ユーロのネルフ設備とエヴァ機体の予備パーツを手に入れる。



 

一方、シンジを連れたアスカとアヤナミは、ニアサードインパクトを生き延びた人々による村に行きます。そこはヴィレが設立した支援組織「クレイディト」の援助を受けていました。その村には、トウジ・ケンスケ・ヒカリという懐かしい顔ぶれが住んでいました。彼らはシンジより14歳も年上になっており、既に結婚して子供も産まれています。励ます彼らでしたが、シンジは無言のまま、沈んだままです。とりあえず、ヴンダーが迎えに来るまでそこで過ごすことになった3人。

シンジは何も話さず、自分に閉じこもるばかり。同じ頃、村ではレイが村の人々との交流により、人間らしい生活を教えられ、動物や植物を知り、命の尊さを学び、感情を持ちます。感情を知ったレイは、身体に異変を感じ、シンジの所へ行き、貰ったカセットレコーダーを渡します。そして・・・。

 

 

ヴンダーが村に到着し、シンジは船に戻ります。アスカとマリは、ゲンドウが起こそうとしているフォースインパクトを止めるべく出動し、危機的状況に陥り、アスカは自分の身体を使い、最後の賭けに出るのですが・・・。

 

その戦いを見ていたシンジは、エヴァに乗るとミサトに話し、父ゲンドウとの対決に望みます。ゲンドウの本当の望みを知り、本当の姿を知り、父親を乗り越えて成長して行きます。そして、シンジが最後に下した決断とは・・・。後は、映画を観て下さいね。

 

 

「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」と私も心の中でつぶやきました。本当に終ってしまったんですね。長かった、本当に長かった。でも、観て良かった。全てが理解出来たとは言い難いですが、私なりの感想を書いていきます。このシン・エヴァンゲリオン劇場版の感想は、ネタバレ無しでは無理なので、今回はネタバレしています。まだ、観ていない方は、ここで引き返してください。でも、もしかしたら、この映画は、ネタバレを知ってから観るべき映画かもしれません。

 

前の3作で、何度も使徒と戦い、引き籠ってきたシンジ。今作でも、最初は、カヲルを死に追いやってしまった責任を感じ、言葉が出なくなるほど落ち込んで、引き籠ってしまっています。そんなシンジを心配しながらも、レイは村の人々の仕事を手伝いながら人間としての感情を持ち始めます。でも、感情を持ちすぎてしまったレイは、LCL化してしまいます。

 

 

ここで考えるんだけど、クローンをもう少し完全な形で作ることが出来なかったのかしら。感情を持ちすぎるとLCL化しちゃうって、欠陥だと思うのよね。変態ゲンドウが妻のクローンを作った時に、ワザと感情を持てないようにして、自分の思い通りにしようとしたとしか思えないんです。それでも拒否された訳だけど。同じように作られた式波シリーズは、見ていると完全な形でのクローンのように見えたので、やっぱりゲンドウの変態趣味が影響していたのかしら。今回の映画で、式波シリーズとしてアスカは作られたことが明かされています。

 

シンジは、やっと父親との対決に挑むわけですが、うーん、長かった。最初っから父親と仲悪かったんだから、もっと早く対決しても良かったのに、精神的に成長するのが遅かったですね。まぁ、中学生だった訳だから、仕方ないとは思うけど、ここで、やっと、、父親と対決して、「父殺し」の儀式を行う訳です。

 

 

ゲンドウは人類補完計画の為に、フォースインパクトをエヴァ13号機に乗り込んで起こそうとするのですが、ゲンドウの人類補完計画は、あの「伝説巨神イデオン」と同じように、最後は人間を肉体から開放して魂にして、一つにするというものでした。それって、「火の鳥」のコスモゾーンと一緒じゃん。個々が無くなって、一つになり、ガフの部屋へ戻って、そのまま永遠に生きると言う事なのだと思いました。そんな面白くない事、何でしたいの?妻ユイと一緒にいたいから?でも、魂で一緒になったら、個々が無くなるから、ユイとかゲンドウとかの境が無くなって、会うとかいう感情さえなくなるんです。どう考えても、間違っているでしょ。
 

そのゲンドウがどうしてこういう考え方になってしまったかも、今回明かされています。彼は昔から一人で、ユイとの出会いにより、感情が生まれて寂しさを知ったという説明があります。だから、ゲンドウは息子を愛せなかったんです。昔から病んでいたという事が解り、シンジは、父親を尊敬して目標としていた自分から開放され、可哀想な父親を哀れむ方に周ります。ここで、息子が父親を超えたという事が描かれているんです。

 

 

「父殺し」=「神殺し」なので、ゼーレの計画通りに事は運ばず、救世主が磔になる事も無く、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」(わが神、わが神、何故私をお見捨てになったのですか?)と言う言葉も無く、イスカリオテのユダならぬマリアが、救世主を助けることになります。もし、シンジが死んでいたとしても、神に懇願する言葉は無かっただろうし、レイやアスカはエヴァのいない世界に飛ばされていたと思いますが、シンジは死なず、イスカリオテのマリアの導きにより、一緒にエヴァのいない世界に再生されたのだと思いました。

 

救世主が望んだことにより、世界にハルマゲドンは起きず人類は再生されることも無く、使徒もエヴァも地上に落ちてこなかった時間軸に再生され、それまでの記憶を持っているのはシンジとマリだけ。他の人々はエヴァのいない世界を生きているんです。

 

 

劇場版は、解りやすく作っていたと思いました。TVシリーズは、みんなで手を叩いて終わったでしょ。でもね、考えてみると、あれと同じなんです。結局、シンジが成長して、父親を超えることが出来て、おめでとうということは変わっていないんです。うーん、深いなと思いました。

 

渚カヲルくんに対しての加事の”渚司令”という呼び名が、終わっても、なお謎ですが、カヲルくんが「生命の書」について話していたので、彼は、その研究をしていて、”エヴァ”という呪縛を取り払う為に、何度も同じ時間を繰り返し、シンジの幸せを探していたのかもしれません。シンジを救世主と考えたカヲルくんが、シンジが望む世界をどう構成したら作れるのかと考えて、ループしていたのかもと思いました。加事は、カヲルの協力者であり、色々な可能性を試していたという考え方もあるのかなと思いました。

 

 

それにしても、エヴァ同士の戦いの中、ユーミンの「Voyager」が流れてきた時には、涙がツーッと頬を流れました。それくらい、内容と歌詞が合っていたんです。私、元々、ユーミンが好きで、毎年苗場に行っていたのですが、さすがに今年は抽選に外れてしまい、行くことが出来ません。でも、エヴァの中でユーミンが聞けて、心が洗われました。これ、ダメでしょ。涙が溢れますよ。ここに歌詞は書けませんが、読んでみて下さい。凄いです。この場面のシンジを歌っているとしか思えないの。

 

シン・エヴァンゲリオンを観ると解りますが、ほとんどが女性キャラクターです。艦隊を率いるのはミサト、エヴァで戦うのはレイ、アスカ、マリ、その他、ヴィレの主要キャラはほとんど女性です。沢山の女性が世界を動かしている中、父と子=ゲンドウとシンジが対峙します。ここに三位一体が描かれていて、世界は女性が動かしているということを示唆しています。男性は頭脳ではなく、力を使って動く道具と化しているんです。渋い事を言うなぁ~と感心してしまいました。世界は、頭の良い女性が増えなければ良くならない。頭の良い女性が男子を育てて、男として排出しなければ、成長は無いんです。もっと頑張れよ、女どもって言われているような気がして、元気が出ました。

 

 

今回は、エヴァンゲリオンが沢山出てき過ぎて、何が何だか、私にはわかりませんでした。足だけのエヴァとか、使徒と混ざったようなエヴァとか。ネルフのエヴァとヴィレのエヴァが戦うことになるので、もう、オイオイって感じの大量のエヴァです。全部、何号機ってなっているんだけど、私にそれを見分けろというのは勘弁してください。

 

まだまだ、書き足りないけど、1回観た時点で、私が考えた解釈です。でも、2回目を観たら、また変わるかもしれません。まず、1回目の解釈ね。

 

 

私は、この映画、超!超!超!お薦めしたいと思います。凄い壮大な物語なんだけど、描いているのはシンジという男の子が男に成長する姿です。あまり難しく考えず、まず、エヴァンゲリオンというお話に、接触してみて欲しい。気になったら、細かい部分を勉強して行けばよいですから。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

 

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」