東京国際映画祭2020で「トラブル・ウィズ・ビーイング・ボーン」(ワールド・フォーカス)を観てきました。
ストーリーは、
少女型アンドロイドであるエリは、父と呼ぶ男と夏の時間を過ごし、昼はプールで共に遊び、夜は同じベッドに入る。男が失った娘の代替物であるエリは、男の記憶を共有し、倒錯した行為に抵抗はしない。しかし、ある日、エリは森に入り、行方不明になる。娘がいなくなった時と同じように。
森の側道を車で走る男は、女の子が一人で歩いているのを見つける。乗っていくかと声をかけ、乗り込んだエリにスマホのようなモノをあて、データ同期をする。完了したエリを起動停止し、家に持ち帰る。彼は、一人で暮らす自分の母親に、話し相手としてエリを連れ帰ったのだった。しかし、以前の記憶から意味不明な事を言い出すため、今度は、新しい記憶と新しい顔にし、母親の亡くなった弟に似せて、一緒に暮らさせることとする。しかし・・・。後は、映画を観てくださいね。
アンドロイドが一般的に使われる時代。行方不明になった娘に似せたアンドロイドをそばに置いて、一緒に暮らす父親がいた。妻とは離婚したのか、一人住まいをしており、娘のアンドロイドを、性の道具にもしていた。
最初の頃は、それで満足していたのだろうと思うのですが、彼の記憶を入れただけのアンドロイドですから、成長が無いんです。新しい記憶は蓄積されていかないし、何も変わって行かないんです。映画の中では、それが、段々と父親には辛くなっていったのではないかと思いました。
そして、ある日、自分の娘と同じように、森の中へ入り、行方不明になるんです。父親が持っていた娘の記憶そのままに、消えてしまうというところが、何とも言えませんでした。その後、ちょっと娘らしきアンドロイドに気が付くのですが、父親は、もう、追おうとはしません。なんか、この、どんなに似ているモノでも、娘の代わりにはならないという事を突きつけられたようで、子供を亡くした親の苦しみが、良く出ているなぁと思いました。
その後、アンドロイドは、今度は老女の所に行くのですが、そこで今度は、老女の亡くなった弟に似させられて、その代わりをすることになります。ここでも、老女が持っている弟の記憶をアンドロイドに入れるのですが、何故、弟が若くして亡くなったのか、それが問題になってきます。
やっぱりアンドロイドでは、人間の代わりは出来ないですよ。たとえば、アンドロイドにAIを入れて、どんどん新しい記憶を積み重ねて行ったとすれば成長すると思うかもしれませんが、それは亡くなった娘の代わりじゃなくなってしまい、新しい子供になってしまいます。記憶が新しいですからね。なので、やっぱり、昔のままの記憶だけにするのが、娘の代わりなんだろうけど、ダメですよ。停まったままの娘では、辛さが増えていくだけです。これは、やってはいけない事だと思いました。
アンドロイドが、最初は人間の女の子に見えるんだけど、良く見ていくと、あの”ラブドール”みたいなんです。口元とかが、そのまんまなんです。邦画の「ロマンスドール」に出てきた人形のようで、きっと、人間の子が演じていたと思うのですが、顔だけCGで人形のように変えていたのかなと思いました。とっても面白い感じで、その辺りの映像加工などは楽しめました。
私は、この映画、お薦めしたいと思います。とっても微妙な心理変化を描いていて、観ていて”確かにねぇ~”って思えるような部分が多々ありました。でも、とっても微妙なので、日本でウケるかどうかは何とも言えません。でも、この人間をラブドール表現するっていう試みは面白いと思いました。日本公開されたら、ぜひ、観に行ってみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
「トラブル・ウィズ・ビーイング・ボーン」