舞台「新浄瑠璃 百鬼丸を観てきました。
ストーリーは、
戦国武将・醍醐影光は天下盗りの代償として、生まれてくる我が子の肉体の四十八ヶ所を、魔物たちに与える取引をする。
魔物に捧げられ、四十八ヶ所を失って生まれてきた赤子・百鬼丸は、影光に殺せと命じられた部下が、百鬼丸を生んだ奥方に殺さないで欲しいと懇願され、こっそりと川に流すことにしたのだった。
彼は流されながらも生き抜き、偶然出会ったコソ泥の男・どろろを供とし、母親との再会を夢見つつ、奪われた肉体を取り戻すために、魔物を倒す旅に出る。
というお話です。
扉座の第64回公演です。手塚治虫先生の生誕90周年記念公演ということで、原作「どろろ」から作り上げられた「新浄瑠璃 百鬼丸」のストーリーとなりました。
「どろろ」がそのままではないので、ちょっと変わっていて、どろろが子供ではなくオッサンになっていて、百鬼丸は赤ん坊のまま、手も足も、目も何も無くて、思念のみで刀を動かして戦うというお話になっていました。ちょっと変わっていて、面白かったですよ。
漫画のように、義手義足を作ってくれる技工士はおらず、ずーっとそれこそ”肉の塊”のままの百鬼丸で、確かに、妖怪に48か所の身体を取られちゃったから仕方ないんだけど、これ、漫画だとそんなに気にならなかったけど、人間がやることになると、結構、恐い話になるんだなと思いました。
人間が段々とネットワークなどに依存して、動かなくなり、それこそ身体の48か所を無くしても、別に問題ないかも知れないという時代になってきました。外には出ず、ネットワークの中で自分のアバターで会話をして友人を作るとなると、本当の相手の顔を知らないということは、相手が身体を持っていなくても良いという事ですよね。もし、今、百鬼丸が生まれても、何も困らなかったかも知れない。でも、やっぱり身体は欲しいと思うのかな。
光瀬龍先生の「百億の昼と千億の夜」というSF小説の中に、未来都市「ゼンゼン」というのが出てくるのですが、全てがネットワーク化し、人が箱の中に入って動かず、その箱がビルの中にびっしりと積み上げられているという所があり、シッタータが誰かと会いたいと言って、人の箱を開けてもらうと、ブクブク太った人間が寝そべっているだけなんです。私、これを読んでゾッとしました。だって、今の人間も、少しそうなりつつあるでしょ。太っている人が増えているしね。恐ろしいです。
そんな時代に、身体を取り戻し、普通に生きて行きたいと考える百鬼丸に共感しました。そりゃ、そうですよ。身体が欲しいですよね。そして、その身体を大切に愛して行くべきなんです。ぶくぶく太って、放置するのはやめましょうよね。
この演劇、とても楽しめました。面白かったです。でも、既に終わってしまったんですよぉ。残念ですが、これ、再演があったら、私は、お薦めしたいと思います。特に「どろろ」を知っている人だと、こういう風に表現するのかと思って、感動出来ると思いますよ。ぜひ、気になったら、扉座をチェックしてあげてください。
ぜひ、楽しんでくださいね。
扉座「新浄瑠璃 百鬼丸」
http://www.tobiraza.co.jp/stage/kouen/200907_hyakkimaru/hyakkimaru_0907.html
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