「判決、ふたつの希望」宗教や民族が関わると人はどうしてこうもいがみ合ってしまうのか。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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「判決、ふたつの希望」の試写会に行ってきました。

 

ストーリーは、

レバノンの首都ベイルート。キリスト教徒のトニーとパレスチナ難民のヤーセルとの間にささいな口論が勃発。ある侮辱的な言動をきっかけに法廷へと持ち込まれる。さらにこの衝突をメディアが大々的に報じたことから、事態は国全土を震撼させる騒乱へと発展し・・・。

というお話です。

 

 

レバノンの首都ベイルート。キリスト教徒のトニーは、妊娠した妻と幸せな生活を送る為にベイルートに家を構えた。これで安心して子供を迎えられると暮らしていたある日、行政が街並みの違反建築部分を修繕するという工事を始める。現場監督として現れたヤーセルは、外壁や外部配管などを適法になるようにと検査をしていると、あるアパートのバルコニーからの排水が垂れ流しになっている事に気が付く。配管をし直して、排水管につなげる工事をする為に、住民のトニーに工事をさせて欲しいと頼むが、トニーは顔を合わせた途端、拒否すると断ってしまう。挙句、トニーにパレスチナ難民を侮辱されて、ヤーセルは我慢が出来なくなり、トニーを殴ってしまう。

 

 

行政の仕事を請負っている会社は、現場監督が住民を殴るという事件に驚き、トニーに謝るのだが、トニーは、本人が誤ってくれればそれで良いという。しかし、ヤーセルはどうしてもトニーに謝ろうとしない。人種として屈辱されたと思い、許せなかったのだ。ヤーセルは、パレスチナ難民であり、レバノンのキャンプで暮らしていて、仕事は必要だが正規雇用はして貰えない。しかし自国では、建築のエキスパートとして働いていた人物なのだ。難民という立場で我慢していたのだが、トニーの言葉はヤーセルの我慢の限度を超えていた。

 

 

謝らないヤーセルに業を煮やしたトニーは、法に訴えるとして動き出してしまう。弁護士に頼み、殴ったヤーセルを相手に法廷闘争へと動いてしまう。ヤーセルは、弁護士を頼むようなお金は無いと考えていたが、ある女性弁護士が現れ、人権を無視するような訴えは許せないと弁護を引き受けてくれることになる。そして、ほんのちょっとした街中での諍いが、法廷闘争へと流れて行ってしまう。

 

そして、トニーとヤーセルの裁判が始まる。弁護士は、お互いの深い部分をさらけ出し、罵り合いのごとき言い合いが始まるが、当の本人たちは、只、謝って欲しい、謝りたくないというそれだけの事なのだ。そして、裁判は進んで行き・・・。後は、映画を観て下さいね。

 

 

この映画、素晴らしかった。アカデミー賞外国語賞にノミネートされるのは当たり前かなと思う作品でした。レバノンで起こった、パレスチナ難民との問題という内容なのですが、これ、どこの国でも起こり得る事なんです。ほんのちょっとした、言葉の行き違いで、本当は、お互いに相手を尊重しながら話をしていれば、何てことは無い問題だったのに、その民族性や、立場から、酷い言葉が出てしまった事から、凄くこじれていくんです。

 

トニーもヤーセルも、それぞれは、とても良い人で、勤勉で、犯罪なんて起こすような人じゃないんです。喧嘩もしないし、相手の事を思いやる優しい人達なんですけど、そこに、民族や宗教の壁が立ちはだかり、それに同調する人も出てきてしまう。その上、周りで煽る人まで出てきてしまう。本当なら、2人だけで話して終わらせればよかったことが、大きな国を動かすほどの問題になって行ってしまう。まさかと思うけど、あり得るなぁと思ってしまいました。

 

 

特に、パレスチナ問題は根が深いので、この映画を観ていても、次々と明かされて行くそれぞれの人物の問題が、深く絡み合っているんだなと言うことが判るんです。日本でも、在日の問題とか、同和問題、色々あるでしょ。私たちはあまり見ないようにしているし、報道関係も、そういう部分だけは報道しませんよね。だけど、根深く残っている問題が、日本にもあるんです。だから、この問題は、どの国、どの地域でも起こり得るんです。

 

 

最初は、映画を観ていても、深い部分は描かれていないから、そんな事、誤ればイイじゃんって思っちゃうのですが、話が進んで行く内に、簡単に誤れば済むってもんじゃなくなるんです。というか、簡単に済せられなくなっちゃうんです。お互いの民族が、いがみ合いを始めてしまうので、民族同士の戦いになってしまって、本当にどうなっちゃうんだろうと怖かった。

 

建築屋の私としては、バルコニーの排水が垂れ流しはマズいから、排水管につなげて欲しいなと思いましたよ。それを無料でやってくれるんだから、何でそんなに怒るのかなと、トニーをヤな奴だと思いましたが、ヤーセルの顔を見て、彼がパレスチナ難民だと気が付いたからだったんです。そうでなければ、よろしくーって頼んでいたと思います。

 

 

だから思うんだけど、この建築会社も、難民が安いからってアルバイトで雇うなら、表に出ないようにすれば良かったのに。監督として使っても良いから、表向きはレバノン人を据えておけば問題は起きなかったでしょ。もー、ただでさえ、難民受け入れで、キリスト教徒はイライラしているのに、それに水を差すようなことしちゃダメだよね。この部分で、レバノンの経済状況も何気に描かれているんです。景気が悪いから、人件費を安くする為に難民をナイショで使っているという事なんです。

 

それにしても、本当に凄い映画だった。あまりにも奥深いんですもん、最期の方で、えっ!と思うような事もあったりして、人間って罪深いよなぁと思いました。最後まで見ると、誰も悪くないんです。みんな、本当は優しいんですよ。それなのに、内戦があって、苦しい歴史があって、色々な問題が人々の心の底に”澱”として残ってしまっている。今を生きようと思って頑張るんだけど、どうしてもその”澱”が邪魔をしてしまう、そんな事を描いている映画でした。

 

 

私は、この映画、超!お薦めしたいと思います。素晴らしい映画でした。イスラエル・パレスチナ問題を描いた映画では、今の所、一番、感動した映画かも知れません。アカデミー賞外国語賞にもノミネートされ、ベネチア国際映画祭でも、他のいくつもの映画祭でも賞を頂いているようですよ。ぜひ、観に行ってみて下さい。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

P.S : この映画、実はスニーク試写会で観たのですが、情報を出さないでくれと言われなかったので、感想を書いてしまいました。スニーク試写会って、観た後にも何も情報が出せないことが多いのですが、今回は違ったようなので、書きます。

 

 

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