【演劇】「図書館的人生 Vol.4 襲ってくるもの」人間社会は不条理だけど的を得ている事もある。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
スミマセンが、ペタの受付を一時中断しています。ごめんなさい。

舞台「図書館的人生 Vol.4 襲ってくるもの」を観てきました。

 

ストーリーは、

 

誰かの何気ない一言で湧き上がってきた感情。突然、心の中に火花のように現れては消えていく衝動。見知らぬ人の芳香や懐かしい音楽が、否応なしに引きずり出す思い出。

それらはふとしたきっかけで、襲ってくる。意志とは無関係に。無視することはできても、無かったことにはできない。私たちの日常は平穏に見えて、子k炉の中は様々なものに襲われている。感情、衝動、思い出。襲ってくるもの。自由意志なんて本当にあるのか、不安になってくる。

 

#1「箱詰め男」(2036年)

脳科学者の山田不二夫は、皮肉にも脳に進行性の病を発症する。不二夫は病を契機に自分の身体を使い、マインドアップロードの実権を試みる。それは人間の意識、精神活動をコンピューター上で機能させるというもの。不二夫は身体を捨て、自分の意識をPCに移すことに成功する。

 

#2「ミッション」(2006年)

山田輝夫は配達の仕事中、死亡交通事故を起こし実刑判決を受ける。原因は一時停止無視で、それは自らの衝動に従った結果だった。輝夫は、ふいに意志とは無関係に襲ってくる衝動に悩まされていた。誰が自分に命令しているのか。結果としての、この交通事故はどういう意味を持つのか。出所後、輝夫は衝動に従うことの意味を確かめるように、おかしな行動を取り始める。

 

#3「あやつり人形」(2001年)

由香里は就職活動を始めたばかりの大学三年生。由香里は、母みゆきの病の再発をきっかけに、学業、就職活動、恋人の全てをリセットしたいと感じる。しかしみゆきも兄の清武も、それに反対する。辛い思いをするのは由香里だからと。母も兄も恋人も優しい。しかしその優しさはどこから来ているのかと、由香里は言葉にならない違和感を感じている。そしてその違和感は視覚化されていく。

 

 

この舞台、面白かったです。舞台が始まって、進んで行くんだけど、一体、どこに行ってしまうのか、全く分からないんです。ただ、そのお話を観て、「え?だから?」って感じで終わるんです。でもね、いくつかの話を重ねて行くと、最初に描かれていたお話が、理解出来てくるんです。あ、もしかして、これを言っていたのかも知れないなって言う事に気が付くんです。そして、頭の上から、何か、大きな圧力の様なものが押さえつけてくる。それが、何かは分からないけど、人間を圧迫しているんです。そのイメージが、何とも凄くて、苦しい気持ちが伝わってきました。

 

人の優しさって何だろうっていう事なのですが、優しさって、何だと思いますか?何が優しさで、何が優しさじゃないと思いますか?まず、チャプター3の「あやつり人形」ですが、主人公の由香里は、周りと同じように学校へ行き、大学を卒業したら就職と言う事で、就活をしているのですが、ふと、なんで周りと同じ様にしなきゃいけないんだろうと考えなおし、就活を辞め、恋人とも別れ、全てをリセットしたいと思い始めます。

 

しかし母も兄も反対します。周りと同じような道を歩んだ方が由香里の為に良いからと言うんです。確かに、周りと同じ事をするなら、既に未来は決まっているから、安心ですよね。母と兄は、優しいからこそ、そういうアドバイスをするのですが、それが由香里の為になるかと言う事なんです。リセットするというのは、ギャンブルと一緒。一か八かで、とても危ない道だけど、でも、由香里には、それが合っているかもしれない。もしかしたら、優しいなら、由香里の好きにしたら良いと言ってあげる事なのかも知れない。母と兄の言う事は、優しさですか?

 

 

そしてもう一つ、病気の母親に、治療をするべきだという兄と、母親の好きなようにしたらいいという由香里。どちらも、母親の事を大切に思っての言葉なのですが、もし、自分がガンだと宣告され、余命を告げられたら、兄の言葉と由香里の言葉、どちらが嬉しいでしょう。確かに、少しの命なら、好きな事をしろと言うのは正しいけど、でもね、余命が解って、今、何をしろって言うの?好きな事をしろというのって、とても残酷じゃないですか。もう、一杯一杯なのに、覚悟も出来てないのに、好きな事をしろって・・・。それなら少しでも生きられるように治療を考えようというのが優しさじゃないですか?私なら、そう言って欲しいな。そう言って貰って、でも、これがやりたいからって自分が言うなら良いけど、好きな事をしろって言われたら、突き放されたような気持ちになっちゃう。それは、優しさという残酷な罠だと思いました。

 

次にチャプター2「ミッション」ですが、ちょっとした、その時の気分で、一時停止をせず、死亡事故を起こした山田。悪意が無いのは立証され、交通刑務所に入り、出所してきました。彼を温かく迎える運送会社の仲間たち。彼は、これからは罪を償いながら生きて行こうとするのですが、何故か、やってはいけないという行動を取りたくなってしまう衝動に駆られます。人間社会で決められたルールに縛られている重圧に抗いたいという気持ちが働いてしまうのでしょうか。自分の衝動に戸惑い、行動が頭脳と伴わなくなるんです。好きな事を身体はしたいけど、脳のどこかでブレーキをかける自分がいるんです。難しいでしょ。

 

次にチャプター1「箱詰め男」ですが、病気になり、脳の機能だけPCに移して、生き延びることにした父親が出てきます。この話、最初に演じられるのですが、これが最後なんです。病気になった父親は、自分の希望通り、PCに脳の機能を移して、いつまでも生きられるようになるのですが、それって人間なの?父親と同じ記憶を持っているし、考える事も出来るし、死ぬ事は無いけど、でも、人間じゃないよね。父親は、自分の考えで選択をして、行動したけど、失敗だった事に気が付きます。そして電源を落として貰うんです。でもね、この父親、もし、息子に相談して、妻にも相談して、色々な人の意見を聞いてから行動していたら、違う選択になったかも知れない。周りの話を聞かずに、自分だけで行動してしまうと、やっぱりダメなんじゃないの?って事なんです。

 

確かに、いつも人々は、社会のルールやらなんやらの重圧を感じながら生きているけど、それを苦しいからって、何も守らなくなってしまったら、そちらも苦しい事が起きるんだよって言う事を描いているように思えました。何が正しくて、何が間違っているのか。何が優しさで、何が意地悪なのか。そんなもの、人によって違うってーの。社会のルールって、息苦しいけど、それがあるからこそ、人間は、平穏に生きて行けるし、良心の呵責を負わなくて良いんじゃないのかしら。優しさだって、沢山の種類があって、どれも間違ってないけど、でも、その状況に合わない優しさもあるんです。

 

 

そんな事が描かれている舞台でした。うーん、何度も何度も、考えてしまいました。そして、やっぱり劇団”イキウメ”さんの舞台は面白いっていう結論に辿り着きました。私は、この舞台、超!超!お薦めしたいと思いますが、既に終わってしまったかなぁ。再演をご期待ください。DVDも出るだろうなぁ。そちらでもどうぞ。ぜひ、観てみて下さい。

ぜひ、楽しんでくださいね。

 

 

劇団イキウメ   http://www.ikiume.jp/