舞台「プライムたちの夜」を観てきました。
ストーリーは、
とある家の居間。85歳のマージョリーが30代のハンサムな男性と会話している。だが、昔の二人の思い出に話が及ぶと、その内容に少しづつ齟齬が生まれる。戸惑うマージョリー。実は、その話し相手は、亡き夫の若き日の姿に似せたアンドロイドだった。
薄れゆくマージョリーの記憶を何とかとどめようとする娘夫婦。愛する人を失いたくない-家族の会いをテクノロジーはどこまで補えるのだろうか・・・。
というお話です。
この作品、SFなのですが、アンドロイドが日常に入り込む時代に、お婆さんの亡くなった夫を、アンドロイドで復活させて、側に置いて世話をさせるという話なんです。一人になってしまうと、ボケが進んでしまうので、ボケ防止にも良いと思って、娘夫婦が母親に与えるんです。老婆=マージョリーの側に、若い頃の夫の姿で存在するので、外から見ると、とても違和感があるのですが、当のマージョリーは、別に、自分の姿が見える訳じゃないし、自分が若い頃の夫を見ているなら、自分も若返って良いのかなとも思いました。
でも、アンドロイドの中の情報は、本人では無いので、同じとは行きませんよね。会話をして行く内に、段々と、学習して、夫と同じ様になっていくらしいけど、そこら辺で違和感はあるだろうなぁ。だって、もし自分に都合の良いように情報操作したら、そうなってしまう訳でしょ。例えば、夫はセロリが嫌いだったのに、貴方、好きだったわよと教えれば、好きだと思って食べる訳でしょ。ま、アンドロイドだから食べないかも知れないけど、でも、そういう情報操作が出来てしまうと、もしかしたら、夫婦仲が悪くても、死んでしまった後に、夫婦仲が良いように作ったアンドロイドを置いておけば、仲の良い夫婦が体験出来るって事ですよね。でも、それは元の夫じゃなくて、新しいロボット、お人形って事でしょ。それって、どうなんだろう。
一度くらいはアンドロイド、使ってみても良いかな。で、やっぱりイヤだと思ったら、リセットすれば良いんですもんね。夫をリセットするなんて、面白そう。でも、寂しいね。今の生きている夫が、ムカつきながらも好きなのに、それが、良い夫なんかになってしまったら、寂しくて哀しいかも知れない。何事も、自分の思い通りに行かないから面白いのに、それが無くなった時点で、既に生きる価値が無くなってしまうかもしれない。
娘夫婦も、そんな母親とアンドロイドを見ながら、段々とおかしくなっていくんです。違和感のあるアンドロイドと、それを相手にする母親を、どうしても観ていられなくなる。凄く分かりますよね。きっと、マージョリーも、どこかで”これはアンドロイドだから。”と思って、妥協して付き合っていただろうから、周りから見ても辛かったのだと思います。
話を観ていたら、萩尾望都の「A-A’」を思い出しました。萩尾さんの作品の方は、クローンだから、ある程度までの情報はデータで復元しているので、それほど教育は必要無いってところが違いますが。でも、一緒なんですよね。やっぱり人間は人間、クローンはクローン、アンドロイドはアンドロイドになっちゃうんですよ。仕方ない事ですけど。
そして、怖ろしい結末に辿り着くのですが、それは舞台を見て欲しいかな。この舞台、とても面白かったです。浅丘ルリ子さんは、生で見ると、とても美しくて、驚くほどでした。彼女の時代の方々は、整形が発達していなかったから、本当に元が美しいので、その方が、美しく年を重ねると、どんなに年を取っていても、その年代の美しさがあるんですよね。内から光り輝くようでした。うーん、素晴らしい。ぜひ、観に行ってみて下さい。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
「プライムたちの夜」
http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_009663.html
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